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第8章ロジャーズ博士の教育論(9)
(編者畠瀬実の前書きは述べている:1967)
本書は、ロージャズ全集第5巻として、彼の教育に関係する緒論文を収録し、邦訳したものである。この書は、ロージャズの教育論といってもよいであろう。
第1部「学校カウンセリング」は、学校カウンセリングに関係のある二つの章を選んで当てたものである。その第1章、「担任教師による身体障害児の治療」は、小学校の1担任教師が自己の担任クラスの問題児を扱ったものである。第2章、「カレッジ・パーソネルワークに対するクライエント中心療法(カウンセリング)の意義」は、大学に於ける更正補導や学生部の在り方について、クライエント中心療法の立場から論評したものであって、とかく、いかに管理し、統制するか、のみに陥りがちな、わが国の学生部の在り方に、真に人格発達に寄与するような学生指導の在り方を提示したものということができよう。これはまた、中学、高校などの生徒指導にも、大きな示唆を与えるであろう。
第2部「教育と学習」は、クライエント中心療法に基づいた教育論であり、学習論である。ロージャズは、真の意味の学習とは何か、の問いを常に発し、学習とは、決して他人(親や教師)から教わるものではなく、自己自らの経験により獲得していく過程であることを重視する。そこでは、知的なものよりも、情緒的、経験的なものの重視があり、潜在能力の開発への志向がある。ロージャズのセラピー理論がいかに教育的なものに結びついているか、いや彼のセラピー理論それ自体が、真の意味で教育的であるということについて、多くの示唆を与えられるであろう。第3章、「学生中心の教授」は、彼の教育論を初めて体系化した形で公表した、歴史的な著作である。つづく第4章、「学習者中心授業の参加者体験」は、大学に於ける教授経験の記述であり、第5章、「意味ある学習促進の実例」は、小学校における授業経験の実践記録や感想文である。第6章、「授業と学習についての私見」は、彼の教育論のエッセンスを極めて簡潔に表現した評論である。第7章、「治療と教育における意味のある学習」は、サイコセラピーと教育における学習の同質性、異質性と、その教育的意義を論じたものである。第8章、「意味のある学習の促進」は、学習と教育に於ける二つの方法を対比させながら、最近の種々な教育技術の発展との関連のもとに、意味のある学習(significant learning)とは何かを論じたものである。
本書が、日本の混沌とした教育界の現状に、大きな刺激を与えるであろうことを期待する。
(当時から日本の教育は混沌としていたようだ)
(編者後書きには次の様に記している)
本書に述べられたような授業法が、日本の各地で少しではあるが、増加の一途をたどりつつあり、勝れた成果をあげていることは非常に嬉しいことである。我々もこの種の授業法を研究するために、生徒中心授業研究会を作り、過去数年にわたってその成果を、「学習者中心授業の研究(1〜5)」として報告してきた。(日本心理学会1964年大会発表論文集、日本臨床心理学会編、臨床心理学の進歩1966年版、誠信書房、同1967年版近刊予定参照)
我々はこれらの研究を通して、この種の授業法は、生徒一人一人の感情と同時に、グループの雰囲気と動きを充分に理解しようとしながら進める点で、グループセラピーについての充分な素養を持たなければならないことを実感してきたが、しかしそこには、生徒の潜在能力、創造性の開発、主体性の増進などの無限の可能性が開かれているように思われる。
この種の授業法に対する反論も、しばしば聞くところである。それらはしかし、皮層的理解から発していたり、感情的反発を伴ったものが多いように思う。また我が国の戦後の教育界は、新技術の導入が流行し、着実に定着したものは少ないという反省からでた慎重論もあるようである。
しかし、大学において教師が一方的に講義し、学生にノートさせる一方交通ののコミュニケーションの在り方も、自らは生徒中心に運営しているつもりでも、常に教師が主導権を握っている小、中、高の授業も、幼いという理由で教師がしつけと訓練を課すことに最大の目的をおきがちな幼児保育の在り方も、反省期に入ってよいのではなかろうか。学習者の感情、意図、要求を極めて敏感に感じとり、双方の真実のコミュニケーションに基づいた、学習者の主体性ある生き生きした授業法が普及してもよいのではないのか。
本書はこの点について極めて具体的な示唆を与えると同時に、理論的な支柱をも提供するであろう。ただしロージャズ博士が再三忠告している様に、その形式を真似しただけでは、この種の授業法は成功しないということである。各教師の態度、モチベーション、人格の規定に基づいた展開は、必ず各教師の個性ある授業法となって現れるであろう。今まで日本におけるこの種の授業の普及が阻まれた原因の一つに、形式的な模放が不成功に導くことが多かったということはありはしないであろうか。本書の出版が、日本の教育への何らかの刺激になることを願いたい。
(この様な教育論に素直に、本質的に取り組んでいたなら、今日の様な教育の荒廃はなかったと思う。心ある多くの市民、そして全ての教育関係者が真剣に学んで欲しいと考えた。
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