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大学を考える



大学再生の可能性をさぐる  
  大学コンソーシアム − 53 − [FMICS BIG EGG 2000年5月号より]
by  鈴木健夫
 第8章ロジャーズ博士の教育論(6)

[経験学習としての模擬演出法]
 経験的学習を進めていこうとする工夫の表れとして、いろいろな役割を演ずるという手法を、教室でよく用いる。このプロセスの中心は、複雑な場面を模擬的に演じていくことにある。
 いくつかの国家間の関係、歴史的な場面、個人間の問題などが取りあげられ、学生、生徒たちがそれらの事件に参加する事になる。
 社会科や公民においては、教育の問題や地域社会の政治問題などが当然、模擬演出により取りあげられる。いろいろな生徒が各々、市長や教育委員会の議長、教育委員、校長、PTA会長、納税連盟の理事長などに割り当てられる。そして地域のあるいは彼らに適当と思われる社会の問題がテーマとして課せられる。例えば、教育委員が建築拡張の計画をしたり、新しい教員を採用するための契約書を作成したりすることが要求される。彼らは、設定された場面の中で、自分が演ずる役割について準備をする。この模擬演出から生ずるのはどの様なタイプの学習であろうか。何よりもまず、各々の学生たちは、自分たちの立場を明確にするために、実際的な資料を調べねばならないし、自分の見解を立証できるようにしておかねばならない。この実際的な問題を研究していくために、ある程度の自己訓練を受けることになる。学生たちは、与えられた立場を基礎にして、個人としての決断をすることが必要だと認識し始める。彼は異なった見解を持つ他人と、人間関係を持たねばならない。また、自分の意見や行動の結果に責任を持たなければならないことに気付くようになる。それらの経験を通して、学習、決断、行動へと進む、実際的な問題を学ぶことが必要となる。
 この様な経験からは、消極的で批判的な態度の思考よりも、むしろ積極的で前向きの学習が生まれるようである。現代の教育は、建設的な行動についての積極的な計画や決定をする場合に、全く役に立たないが、他人の提案や考えに対しては、直ぐに批判をしたがるような人間を養成している事がよくある。(現代の日本が抱える問題とよく似ている。他への批判より、自ら行動する気質を身につけさせることの重要性を語っている)


[経験的学習としてのプログラム学習]
 プログラム学習をいろいろな方法で用いることが可能であり、有効であることを示すことは意義あることだと思う。それはあらゆる学習に対して大きな役割を果たすことは事実で、学習を容易にする一つの有用な道具である。ある行動を身につけるには、その行動をまず自分でしなければならないからである。プログラムが全領域にわたる全体的な発展を示さずに、より短いプログラムになる傾向があることは興味深いことである。私にとって、この短いプログラムの発達は生徒たちがティーチングマシンを使用するのに、最も効果ある方法を示しているように思える。経験的学習が前述の考えに沿って行われているとき、知識や道具の必要を感じたり、当面する問題の解決に必要な情報が得られない、などの障害にぶつかる事がある。その時例えば、顕微鏡の使い方を知りたいと思う生徒は、それらの知識が得られるプログラムを利用することができる。フランスへ行きたいと思う生徒は、フランス語会話のプログラム教材を利用する。代数の知識を必要とする生徒は、興味ある問題を解くためであろうと、大学に入るためであろうと、代数のプログラム教材を利用することが出来る。 うまく整備されたプログラムは学生たちに満足のいく直接的な学習をさせることを容易にし、必要な時に必要な知識を与え、学習の過程は明瞭で理解し易いものだという感じを与える。学生や生徒たちは自分のレベルに合った学習を行い、注意深く作られたプログラムは、首尾一貫して互いに密接な関連のある知識を、段階に合わせて彼らに示すことになる。罰や評価によって学習をおし進めていくよりも、直接的に知識を補強できることや、効果の上がる点で、生徒たちに好まれることになる。
 プログラム学習が柔軟に利用されるなら、機能的な学習に対する必要性はグンと増加して、多くの生徒たちを、トントン拍子に進歩させることであろう。また、プログラム学習は、全く期待されていなかったような新しい分野においても発展しつつある。二人の人間が、プログラム教本にある協力的な問題をやりながら、人間関係についての認識を深めていくだけでなく、お互いの意志の疎通が深まっていくような人間関係改善のプログラムの発展まで手がけている事例もある。
 産業界においても、教育界においても、この様な一連の発展的プログラムを利用し始めた。そして学習には、知識と感情の両面が作用し、そのプログラムが学習者に重要な意味をもっていることを強く感じている。
 プログラム学習が誤って用いられると、大きい危険が生ずることは言うまでもない。もしそれが思考の代用になったり、創造性を軽視して、実用的知識を強めることに重点をおくなら、既に弊害が生じていることになる。しかし、もしそれが、教育者によって柔軟に目標達成の手段として考慮されるなら、最も有力な道具になることは当然である。(さしずめ現代ならこれらの短いプログラムは、インターネットにより、何時でも何処でも自由に利用できるのだろう。それらの内容と使用法に注意が必要だといっている。その指導の重要性を、博士はいみじくも1960年初頭に指摘している。以下次号)


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