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第8章ロジャーズ博士の教育論(5)
「共感的理解の態度」
経験的学習を助長するような雰囲気をつくる次の要素は、共感的な理解である。
教師が学生の内部から起こる反応を理解する能力を持っているとき、また学生の目に映る教育や学習のプロセスに敏感な感覚を持っているときに、個々の学習者にとって意味ある学習が進む可能性は増加する。この様な理解は、あなたの何が間違っているのか理解している、というような評価的理解とは全く異なる。敏感な共感が存在するとき、学習者の反応は、私を分析したり評価したりしないで、今私が感じていることを理解してくれる、といったタイプのものになる。この時こそ、学習者の心を開かせ、成長につながる学習を行なわせる時である。
(博士は経験学習を促進する、教師の3つの態度について述べている。それは教師が真の自己であること。即ちまず第一に真実であること、純粋性であること、次に受容することに寛大であること、そして共感を感じ、表明すること、などであるという。これらの教師の態度が学習者に感受されるとき、経験学習は大きく促進されるという)
資源の準備
経験的学習を助長するうえに必要な最後の条件について述べなければならない。
教師の態度に加えて、学習者が問題に対決することや、学習のための資源が必要になってくる。あらゆる資源が利用できるよう配慮することは、普通、教師の責任となっている。これは、材料のような資源、道具、実験設備、用具のようなものから、教室訪問、テープの聴視、保育園見学、等の観察の機会までも意味する。また、他の人たちの経験を集めた印刷物、本、論文、学生のレポート等のようなものもある。また、個々人の仕事や経験の触れあいなど、学習に役立つような、個人に関する資源でも良い。教師が学習を効果的にするかどうかは資源の独創的な組み立てや、これらの資源を容易にかつ、心理学的に学習者に利用させていく能力に、大いにかかっている。
[経験的学習を促進する実際的方法]
既に述べた条件に基づいて、教育の新しい発展に役立ち、経験的学習をより促進させるために有効であり、しかも第二番目の教育目標として、私が述べた考えを充足させるような、実際の方法に目を向けてみよう。
教室の授業に関する三つの例と、教室にも、教師自身の訓練やスーパービジョンにも関係のある例を述べることにする。
探求法
過去数年間に重要性を増してきた、ある特別な型の、参加的経験的学習は、科学の分野で発展してきた。いろいろな個人や国家機関が学生を援助して、研究者養成に力を注ぎつつあり、また科学の領域における新しい発見を産み出すために種々の方法を用いている。
この動きは、科学はどんどん変化していくもので、既知の事実の枠の中だけでなく、現代の社会に発展していくものでなければならないという緊急な必要に迫られて進んできたものである。今日では、科学について単なる知識の集積を持っているだけでは、教師として充分な資格があるはと言えない。即ち、科学は絶対で、完全で、永遠不変のものだという誤った考え方から、教師は解放されねばならない。
多くの研究者たちは、科学の教師に対して、学習者の内面の、自発的なプロセスを強くするために特別な訓練が必要であることを、新しい研究から見出した。
教師は問題を課したり、反応し易いように環境を整える。更に、研究操作の上で、援助を与えたりして、学生たちの探求の土台を整える。こういうことによって、彼らの自発的な研究や学習を進めていく。彼らは、目の前の問題に対して解答を見つけたり、科学者としての研究の魅力や喜びを、自分の力で見出していきながら、自ら科学者の道を進むことになる。
彼らは科学に関する事実をあまり多く学ばないかも知れないが、永遠に続く科学の真の味を噛みしめ、真の科学には終わりがないことをはっきり認識していくのである。将来教職に就く者は、この種の刺激を与えようとするなら、自分自身それを経験していなければならない。それゆえ教師養成機関のコースでは、科学の領域における発見の満足感を味わうような方法で教育されるべきである。現在の教育には、小学校時代に知識の獲得や理解に、他律的に追いまくられ、実験、観察等の経験的な機会が殆どない。
子供というものは、新しい理解を得るのに、自己流な方法を考え出すことが許されると、自ら行うプロセスの中で考えを一層深め、よりよく理解し、より辛抱強くなっていくものである。そしてより自発的になって、この様な経験を重視する学習に完全に根を下ろすようになるものである。
(教育を変えるということは、教師を変えるということである。それは教師養成の場面で変えることが最も抵抗なく受け入れられる。そこに博士は目をつけた。ここでいう科学とは自然科学だけでなく、人文科学、社会科学にもあてはまる。更に考慮すべきは、この様な教育をするためには一クラスは20人以下でなければ効果は期待できないことである。以下次号)
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