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大学を考える



大学再生の可能性をさぐる  
  大学コンソーシアム − 48 − [FMICS BIG EGG 1999年12月号より]
by  鈴木健夫
第8章ロージャズ博士の教育論(1)

 この項では大学教育での教授法について考えてみたい。学生が学ぶ目標はテストの為であろう。しかし本当の意味での学習を切り拓くことに邁進する意欲をどうしたら動機づけることができるだろうか。この学問習得の動機付けが教授たちによって正しく行なわれるなら、日本の大学教育の再生の可能性が見えてくると思う。
 アメリカの臨床心理学者カール・R・ロージャズの論文全集第5巻(カウンセリングと教育)の第8章に「意味のある学習の促進」(岩崎学術出版社)というタイトルがある。学生が自ら学習を促進していく動機付けのためには、これは非常に興味深い論文であると感じたので紹介したい。

 [意味のある学習の促進]
(彼はこの論文の冒頭で、二つのタイプの、学習方法、可能性のある教育目標をあげている)
 第一は、認識がまず深まり、確実な連想が心に固定するように思える学習法がある。例えば、子供は文字や数をこの学習法で学ぶ。またこの方法でかけ算の九九を早口に言うことが出来るようになるまで覚えこむ。さらには方程式を解くルールを覚えたり、フランス語の動詞の不規則変化を覚えることも出来る。これらは学習者自身には僅かな変化しか与えていない。それは学習者に課せられた課題の一部として、当然学ぶべきものとなっている知識の一部が学習されたに過ぎない。この様な学習は苦痛が伴い、また容易に忘れ去られてしまうことがよくある。

 それに対して第二の学習法は、学習者自身が経験を通じて、学んでいく意味があると考えることの出来る別タイプの学習がある。学生はその経験を、「私は外部から興味あるものを見い出し、それを引き出して自分の一部となるものに作りあげている」と述べている。自分の自動車をよりスピードの出る、効率のよいものにするために、ガソリンエンジンについて夢中になって出来る限りのことを本で調べたり、質問に走り廻っている青年などはこのタイプの学習のよい例である。実物そっくりに見えるように建物の絵を描こうとしている少年は、遠近画法を知りたいと思って簡単な2、3のルールを学ぶ、その子は学習したことをしっかり会得し、自分のものにしてそれを使おうと努力する。これも意味のある学習の例といえる。さらに別な例としては、ミミズや水素爆弾やセックスのこと等について自分の好奇心を満足させるために図書館に行って書物に没頭しているような子供の場合である。
 どの様な経験学習においても、学習者に見られる気持ちは、「私は今、自分の必要とするものを掴みつつある」ということだ。
 この様な意味のある学習や経験的学習に含まれる要素をもっと明確に定義してみると、「全人格的没入」がそこにはある。即ち、感情の面でも認知的な面でも、全人格を学習事項の中に没入している。また、これは「自発的な学習」であるともいえる。たとえその誘因や刺激が外部からのものであったとしても、何かを見い出したい、なんとか努力したい、掴み取りたい、理解したいという気持ちは、「内からのもの」である。さらにこれは、「浸透していく学習」ともいえる。学習者の行動や態度は、おそらくパーソナリティーにまで変化を及ぼす。それに加えて、これはまた、「学習者自身が評価していく学習」であり、これは自分が学びたいと思っているものではない、まだ充分なレベルに達していない、また、これの方がよい、これこそ自分の望んでいることだ、というように自分で評価していく学習である。その評価の基準は学習者自身がはっきり持っている。本質は学習者に対する「意味」である。学習者にとって意味を持つ要素が組み立てられて、全体の経験となっていくのである。

 次に、「可能性のある二つの教育目標」というテーマでこの論文は進行していく。
「米国の教育組織の大部分は、過去に累積された知識を過去の時代の価値観と一緒にして、若い人たちに教え込むことに必死である。その結果として、当然知識は持っているが、受動的な順応者を産み出している。歴史的にこの観点については今まで多くの論議をかもし出してきた。
 私は最近オーストラリアを訪れて、その原住民について本を読んだり、話を聞いたりした。近代人なら死滅してしまうような劣悪な環境の下で、その種族は2万年間も生き抜いてきた。彼等は比較的時代による変化の少ない分野については、すでに得た知識や技能を子孫に伝え、比較的変化の少ない問題に新しい方法で対処することを嫌ったり、禁止したりして生き延びてきた。 以上のことはわが国の教育の目標にもあてはまる。

 しかし、我々は歴史上かってないような状態に今、直面している。現在の世界、例えば科学、コミニュケーション、社会関係などの分野では、過去に蓄えられた知識だけでは間に合わないようなペースで変化しつつある。物理学者は過去に蓄えられた知識だけではもう間に合わない。物理学者の自信は新しい知識を獲得していく「過程」の中に見い出されていく。もし我々が流行の世界と同じようにドンドン変化していく世界に対処していけるなら、即ちその中で生きていこうとするなら、我々はもっともっと変化の中で生きていけるに違いない。(この後もう少しこの議論におつき合い願いたい。この項つづく)


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