| 第七章 エピローグ(十)
エリート教育について
この項ではエリート教育について考えてみたい。日本では、かつて旧制高校と大学の組み合わせが割合近いシステムであったが、戦後のGHQによる学制改革により、いわゆる悪しき平等主義を用い過ぎてきたため、現在の日本にはエリート教育は存在していない。この悪しき平等主義が、これまでの日本の高等教育をゆがめてきた主犯であると思っているが、ここでは直接議論の対象としない事にしよう。
さて、世界中どこの国でもエリート教育を行なっており、これを無視しているのは日本だけであろう。
戦後の日本がここまで経済成長をなし遂げられたのは、キャッチアップ型の企業が日本式の経営で人材育成に尽力してきたからにほかならない。高等教育が秀でていたからだ、などと思っている人はまさかいないだろう。企業内教育が日本的なリーダーを育てながらここまでやってきたという事だ。それはあくまで日本的なリーダーであり、その企業や組織にとって最適な形なのであって、国際的に評価を受けるリーダー像ではない。
しかし、今後の日本には世界をリードする卓越したエリート集団が不可欠になるものと思う。
では、何故これからの日本がエリートを必要とするのか。欧米先進国が世界をリードしてきた20世紀に対し、21世紀はアジア、アフリカ、中東、南アメリカなどがこれまでよりも一層、民族及び宗教紛争、飢餓、環境問題、基本的人権、テロ行為など、多くの国際問題を抱えて、世界はますます複雑な色合いを呈してくるものと想像される。これに対し、日本は国力に見合った国際貢献を果たさねばならないであろう。そのためには、これまで欧米がリードしてきた国際的な話し合いの場に、日本もリーダーとしてやっていける人材が必要不可欠となる。国際的な議論の場で堂々と渡り合っていける人材の不足が最近の日本では顕著になっている。
この国際的に通用する、いや、リーダーとなって人望のある、国際紛争のまとめ役となる人材を育てようと言う訳である。そのためには専門知識の深さは当然必要だが、その前に語学力と深くて幅広い教養が豊富であり、さらに人格も立派で、積極的な行動力もそなわっていなければ、世界のリーダーの一員とはなれないだろう。
バブル崩壊と共に日本は世界で最も経済力が強いと思っていたのに、その自信は見事に崩壊してしまった。それまで日本は経済だけには自信があったにも拘わらず、その見事なまでの凋落ぶりは、国民に完全なまでに自信を喪失させてしまった。日本人全体が自信喪失をはっきりと感じ、あらゆる期待や希望を見失ってしまった姿が、1999年7月に報告された「世界価値観調査」(電通総研)に明らかに見られる。
経済、特に金融問題とは別の世界から認められるリーダーシップを発揮できる何かが存在するなら、全く違った希望と自信を持つことが出来るようになるだろう。しかし、現在は人材不足の負い目だけが重すぎる。
ここで私が強調したいことは、世界貢献の為の「金」の使い道を日本が自主的にリードしつつ、戦略的に決めていける人材を世界に送り出そうと言う話なのである。日本が核や軍事力によって世界に覇権を争うような道は許されない。そして経済力以外に世界をリードする何かを持つことは、国策として、また国民の拠り所としても必要なのではなかろうか。その具体策として国際貢献の道筋を決めていく代表選手たちを数多く世界に送り出したいものと考える。彼等の役割は日本を世界から認められ、信頼される国際的なリーダーの一員に位置づけることである。
それでは、その為の人材育成をどうするか。大学教育で言えば、純粋学問(学問的専門教育)だけでなく、国際政治経済学、国際関係学、国際文化比較学、国際法学などを、実用的な学問として博士号取得まで学ばせる。そのためにインターン制度を充分に取り入れ、国際機関、大使館、海外企業などに出向いて、実状を把握して解決策や分析力を養うとともに国際的なエリートとの付き合いから人間性を学んでいく。それらの経験と学問的専門知識を融合させた修士、博士論文を書いて評価を受ける。日本の大学教授ではこの様な評価が出来ないであろうから、外国の大学に客員教授として評価を手伝って貰う。
終了後もそれらの機関で働き、徐々に専門分野を構築していく。必要なら、ある地域に特化した地域情報の分析を専門として、殆どその地域に永住して情報の根幹を握る。アメリカにはこの様な実務的な学者が実に多い。そして彼等は国の中枢と関係を持ち、冷静な、公平な意見を政府に具申している。政府も彼等を大いに活用している。時には国際問題、紛争などのプロジェクトリーダーとして政府を代表する。ここに描いた形は外務省の硬直化している人材不足に対し、世界と対等に、もしくはリードする力量を持った人材の育成を想定しているのである。外務省は内部だけで全ての人材を組織化し、他からの人材導入を拒否し続けてきた。そこに人事の硬直化が潜んでいる。特に実用的な専門分野の高度化という視点が欠落していた為にミスマッチ人事が横行している。国際的に最適な人事を配することが自らの組織で賄えないなら、外部から導入を計るべきである。常に外務省の組織の最適を考えるのでなく、国として最適を考えねば、21世紀の日本は成り立たないであろう。
この様なエリート教育は大学だけでは難しい。欧米では12歳から寄宿舎に入れて、早くからエリート教育を授けている。当然全人格的な人間教育も、社交マナーも、スポーツも、そして充分な教養もしっかり学習させる。充分にコミュニケーションがとれて、自己の主張が作り語れる、そしてバランスのとれた人間関係を作れる若者へと育てあげる。この様な優秀な若者を、総仕上げするのがエリート養成大学の役割となる。勿論大学だけで完成という訳ではない。先に述べたようにエリート博士号修得するまで、この様に徹底的に仕込まないと世界に通用するエリートは育たない。これからの日本にはこうした真のエリートが年間に100人は必要になってくるだろう。
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