| 第七章 エピローグ(三)
21世紀はボーダレス企業間をそれぞれの条件に合う自由な選択が出来、どこに住みたいか、どの会社で何の仕事をしたいかを自由に選択できるすばらしいグローバル社会が、日本の労働者、特にしっかりと専門的職能を身につけた人々にあたたかい手をさしのべて迎えてくれるだろう。これまでの欧米先進国の人々は世界中を自由に移動して好きな国に住み、気に入った仕事につき人生を楽しんでいるが、日本人もそのチャンスが多くなり、日本国内でも好きな都市を選んで、自らの職能を生かして仕事をするという自由な選択が出来るようになるだろう。
ここで付け加えておくこととして、職業的専門教育を受けるには、それぞれに必要な教養を身につけておく必要がある。
つまり、しっかりした日本語が習得されており、外国語、哲学、論理学、倫理学、心理学、歴史学、社会学、数理統計学、更に必要に応じて物理学、化学、生物学などを専門に応じて教養として身につけていなければならない。これらは高等学校での優秀な成績があれば大学において認められてよいものである。大切なことはこれら教養科目をただ暗記しているようなこれまでの受験勉強的な知識では役にたたないということである。与えられたテーマに対して資料を読み、理解し、自分の考えでレポートを書く技術が要求される。そのような基礎的学問が身についていなければ専門的学問はたとえ何らかのテクニックを用いて修めたとしても真の学問を学んだとは言いがたい。小、中、高、大学まで一貫して「考える」事を学ぶ教育を身につけなければ意味がない。これまでのような記憶力や理解力だけ勝れていても、これからの複雑な社会には殆ど役に立たないと思うからである。日本以外の世界中の教育は、この「考えることのできる実力」を学習させてきた。
私の身近な事実を紹介して検証してみよう。本稿でも何度も登場している東京のインターナショナル校で幼稚園から高等学校まで教育を受けて98年10月からアメリカのミシガン州立大学に進んだ女生徒の話である。小学校の時からテキストや参考書を読んでレポートを書く宿題が各教科で行われてきたそうだ。小学4年生の時だったろうか、ある日その家族を訪ねると、「おじさん、こんなにいい点をもらったんだよ。」と私にはいつもの流暢な日本語で、嬉しそうに言った。母親の説明によると、テーマは理科の問題で、「呼吸器と消化器の違いについて」というものだった。彼女の書き出しは、「両方ともシステムが似ている」というのだ。それは循環しているという事でわかるという。呼吸器は空気が循環し、消化器は食べ物が循環する。更に呼吸器と消化器についてそれぞれ独自の機能や役割が書いてある。このレポートは文章の訂正が指摘されて、98点だった。私は大いに驚いた。教室で示された参考書の中から、自分で学校の図書館で本を選んで借り、調べて考えて書いたのだそうだ。この両方を循環するシステムとして捉えて、「似ている」と、結論づけている考察力に私は驚いたのである。それと教師がこの様な問題を出し、はっきりと評価していることに注目させられた。良い教師だと思った。
それから年を経る毎にレポートに追い回されている事を度々聞いた。高校2年の終り頃の話は、アジアの歴史のレポートで「何故日本は戦争を始めたか」というレポートに取り組んでいることを聞いた。この時の参考書リストは20冊だったそうだ。その中から好きな本を選ぶということだ。このように自分で参考資料を読んで理解し、自らの考えをまとめてレポートにする「学力」を身につけさせることが世界共通の学問的教育なのである。歴史教育についても、単なる暗記でなく、どの様に事実を認識し理解したのか、自分なりの考察を求めるという、基本原則が進められているようだ。
しかも彼女はバレーボールの選手として最後にはキャプテンを勤めた。更に毎年ミュージカルを国際校3校で共同開催する伝統が続いているのだが、毎年オーディションに応募して私どもにすばらしい歌と演技を見せてくれた。このように学生生活を十分に楽しんでいる。日本の子供達に較べて、「学校生活を楽しむ姿」に大きな格差が存在することに唖然とさせられるのであった。
高校2年になると直ぐにインターナショナルバカロレアのテストを各科目毎に何回も受けて3年の半ばからはこれらの成績を基に行きたい大学にプロポーザルを送る仕事にとりかかった。そしていくつかのパスした大学から最終的にミシガン大学を選んだ。大学入学後も多くのレポートを書き、高校時代に習得した単位が認められ、99年の1月からは、2年生に進級できる事になったのだそうだ。学生の能力を正当に評価してくれるシステムがなんとも羨ましい。真に実力があればきちんと評価してくれる。もし標準に届かなければどこが弱いかを適切にアドバイスする。だからやる気がある学生は見る間に成長していく。ここに教育のプロの存在がある、と同時に、柔軟な大学教育システムが機能している事に眼を見張らされてしまう。彼女が日本の国際校で学んだ事がアメリカの大学で正当に評価されている。この事は国際的に「教育」が一貫した評価基準を共有している事を示唆している。何故世界中の大学でレポートを重視するのだろう。個人に与えられた仕事を文書で報告し、これからの見込みを企画・計画書を要求され、これに応えないと知識労働者として認められないのだ。ビジネス文書作成と理解する能力を問われている。だから必死に学習するのである。
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