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大学を考える



大学再生の可能性をさぐる  
  大学コンソーシアム − 38 − [FMICS BIG EGG 1999年2月号より]
by  鈴木健夫
第七章 エピローグ(一)

 現在日本は未曾有の「社会構造転換期」のただなかにあり、多くの分野で「改革」が行われている。欧米の社会が10から15年前に経験した改革を多くのセクターで始めたばかりである。イギリスやアメリカはうまく不況を脱したがドイツとフランスはまだ脱し切れていない。日本もたぶん10年位は時間がかかるだろう。改革への心構えを、イギリスのブレア首相が98年1月のNHK・TVで、改革は常に行い続けることが必要なのだと言うことと,教育改革について今イギリスは真正面から取り組んでいると語っていたように、必要な時には急激に、ゆっくりとした変化には恒常的な部分改正をしていくことが大切なのだろう。世界の海外留学生の受け入れ国別シェアはかってはイギリスの独壇場であったが今はアメリカが35%となり、イギリス(7%)やフランス(10%)・ドイツ(9%)となりアメリカがイギリスを大きく上回っているのである。イギリスが危機感をいだくのが良く解った。日本もフランスやドイツなみのシェアを持つぐらい留学生の受け入れを国策として持ちたいものだ。(95年ユネスコの統計によれば世界の国際留学生133万人のうち日本の受け入れはカナダ・オーストラリアと共に3%である。)
 ところで今後大学が社会に望まれる地域貢献をどのように進めていくかという中で、これからの地域振興を考えるとき、多摩地域での大学集積は人的資源の集積ということであり、それらの活性化を抜きにしては「多摩地域の未来」は考えられないであろう。
 今後、それぞれの大学が改革を促進し、参画できる大学がこれまで述べてきたコンソーシアムのアイデアを実行に移し、各大学に徐々に刺激を与えていけば、大学そのものが未来に向けて新しい船出を始めるのではないだろうか。
 極言すれば、大学の人的資源の活性化をいかにして促進していくかという難題にたいし、それを大学コンソーシアムに参画することにより「人的資源の活性化と流動か」を実現させようと考えたのである。
 多摩地域にとってこれらの地域経営全体から見て、これら大学の発展は地域振興と密接な関係になるはずであり、ならねばならないであろう。 今回、本稿で述べたことは、これからの大学再生と地域発展の「共生」のためにほんの少し糸口を見いだしたにすぎない。今後、大学、企業、自治体、住民等が一体になって、多摩地域を新しい日本型文明・文化の発祥の地にしていって欲しい。
 大学再生という大きなテーマを掲げてスタートした本稿は、「大学コンソーシアム」という試案を示すこととなった。
 私が言って来た大学再生とは世界中の普通の大学と同じようにに日本の大学もなってもらいたいと言い続けてきたつもりである。とくに私立大学は建学の精神にたちもどり大学の本質を極めてもらいたい。闇雲に少しでも偏差値の高い子ども達をかき集め、四年間自由きままに過ごさせ、有名企業に送り込むのが大学の目的であると誤認しているのではないだろうか。本来学生の就職は大学の本質とは無縁なのである。それは学生の問題ではあっても大学そのものの本質的な問題ではない。優秀な人間に育てられた学生は社会に立派な貢献をしてくれる。企業は自ら立派な人間を求めてくる。欧米の若者達は20パーセントを越える失業率に悩んでいる。大学も学生も卒業イコール就職とは誰も考えてはいない。ただ「大学教育」をうけたいからだけで大学にきている。だから昔から就職を希望する学生はあらゆるコネクションを使って企業や団体に自らを売り込む努力をする。それは入学と友に始まる。卒業しても終わることはない、一生かかってもそれはおわらない、常に自分をより高く評価してくれる相手を求め続ける。自由・競争・自立・自己責任の典型的な欧米社会の一側面なのである。大学は紹介や助言はするがそこまでである、それ以上は関与しない。日本のようにべたべたなぬるま湯社会では学生の就職が悪くなると大学も社会も大騒ぎとなる。形や結果が丸く収まれば中身はどうでも良い。そんなことでなく、大学は立派な[研究と教育と地域への貢献]が求められているのだ。そのような「本質に戻らねば日本の21世紀は真っ暗闇になると言ってきたつもりなのだ。
 大学が果たすべき役割にはもう一つ、これからの日本にとって重要な課題が存在することを指摘しておきたい。
 近年、日本の労働組合は組織をまとめる球心力を失い、組合員数の低下は著しい。企業内組合という独特の組織で、日本型の企業経営を担ってきたこの、世界中の経営者にうらやましがられた「日本の労働組合」はその行く末を見失っているようだ。
 欧米の労働組合は中世からのギルドという専門者集団であり、その専門的知識と技術の集積・開発・育成を大学をはじめとする専門的教育機関がしっかりと担ってきた。これまでの日本型労働組合が消滅するとかしないとかの話ではなく、に日本の労働者もその知識と技術の「教育的な集積」を大学や専門教育機関で支える「社会システム」として位置づけ、「社会インフラ」として整備することが必要となってきたのではなかろうか。特に知識労働者の技術レベルの維持・発展・育成は、重要な国家的課題になると私は思う。複雑・多様化した現在の社会では例えば弁護士の資格を取ったら、生涯その資格は有効であるという今の日本の制度は問題があると思うのである。


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