| 第六章 多摩地域での大学コンソーシアムの提案
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3:地域円卓会議事業
日本の地方自治体の抱える問題点のうち、地域の市民との最終的合意形成に至るまでの困難さは、他の問題点とは別の円滑な地域行政遂行上の大きな障害となっている。これはそのための解決案として提案するものである。
総論賛成、各論反対は自治体が行う事業推進にあたっての最大の課題となっている。国からは各省庁が競って種々のプロジェクトを地域開発や発展のためにと、次々に打ち出してくるが、地域で本当に血となり肉となって発展に寄与したプロジェクトの例は少ない。いや、殆ど皆無に近いのではなかろうか。仏を彫って魂入れずになってるものも多い。東京など大都市にあるシンクタンクやコンサルタントに多大の費用を払って作成してもらった活性化プロジェクト案も絵に描いた餅になっているのが殆どである。
一方では21世紀は、地方の時代と叫ばれ地方分権、独自な地方の確立が唱えられている。これまでの地域発展の図式は主として、国などの巨大プロジェクトの立地に立候補したり、民間投資を誘うために環境整備を行って、呼び水プロジェクトを行う。これらは主として関連公共インフラ整備事業を行うものである。
これらはそれなりに貢献してそれぞれ地域のためになっているのは事実である。けれども全国画一的なプロジェクトの場合は呼び込みの旗ばかり目立ち、実際の立ち上がり進捗率は低い。最近は公共インフラばかりでなく、生活インフラや情報インフラ等を整備し民間投資の立地を競おうとしている。
しかし、製造業やサービス業の一部では、海外投資に国民が向き、空洞化現象となって我が国の未来社会予測に大きな波紋を投げかけてきている。そこで、どうすれば21世紀の日本の地域発展のシナリオが描けるのか。国をあげての大命題なのである。そこで解決の糸口として考えられるのは、これまでの成功例の中にヒントが隠されているだろうし、欧米の実例からも参考情報は多いに違いない。
本稿では、それら具体的手法、戦術方策の提案はしない。戦略的フレーム論に近い。即ち社会システムの新しい方法としての提案を行うのが本意である。
これからは地域が本来もつ歴史的、文化的、地理的風土に培われてきた「もの」の上にたって「是非やりたいプロジェクト」を行政が支援していくシステムをつくりあげること。そして、いかに多くの地域の市民が自らも役割を分担し合って「この部分を行政が手伝って欲しい」と言えるように指導し言えるまで待つのである。地域の市民の真のやる気をこのような形で評価、カウントし、その大きさに応じて行政の支援度を決めるのである。小さなことから大きなプロジェクトまで、こうして「市民の意」を汲み上げるのが地方自治の本来の姿である。そこに立ち戻るのである。これをしっかり根付かせることが遠回りのようでも結局、最も早いことになろう。そしてこれは、民主的な地方行政のあり方、地域活性化の基盤となるだろう。公共投資もこのような条件下で行えば、無駄になることはない。民意の高まりをじっくり待つことがこれからの地方の首長の仕事になるのではないだろうか。その民意の熟成のための仕掛けが地域円卓会議である。これは単なる地域のもめごとを解決するための調停会議だけでなく、地域発展や活性化、生き方、死に方に至るところの生活方針そのものまで、議論しあって方向を見いだし、方策案としてまとめ、地域の市民の賛意をとり、役割を明確にして、行政に「こうして欲しい」と起案するのである。円卓会議はこれの事務局を受け持つ、すなわちこれまでの役所の企画、計画の仕事を役所から市民側に移転するのである。役所側からは事務室、データベースとしての情報それに若干の経験者を、この円卓会議に出向させる。大学からはグローバルな情報を提供し、スタートボタンを押し、会議の事務局と座長を受け持つ。企業からも必要に応じ、分担できるものを受け持ってもらう。市民は議論の中枢を担うのである。
ある程度姿形が明らかになってきたら、座長はプロジェクトマネジャーを指名する。実際にプロジェクトを推進するのは、このプロマネが行う。プロマネはテーマや内容次第で企業人、大学人、市民であったり、場合によっては行政人であってもよい。プロジェクトのマネジメント次第で成功もし、つぶれもする。失敗を恐れず避難せず、チャレンジ精神をいかに大きく持てるかが、その地域の発展の大きさに比例してくるだろう。
これまでの行政は地域監視のスタッフを担っていく。この監視リーダーも円卓会議で決めたプロマネが行う。円卓会議の経費は行政が負担する。地方議会の機能の一部としてシステム化するのが理解しやすいだろう。プロジェクトが増えるごとにプロマネも増えていく。このプロマネ同志の競争はフェアでなければならない。
多摩地域円卓会議では広域市町村会議の下部機構となるのだろう。都はそのための新しい条例をつくる必要がある。直接民主主義がいかにも古くさいように感ずることだろうが、日本は真の民主主義が芽生えていないのだから、欧米の人々が経験したシステムを我々も遅まきながら体験することによって、真の民主主義を築き上げることができるだろう。
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