| 第六章 多摩地域での大学コンソーシアムの提案
(四)
ここに提案する「大学入学者選抜事業」の内容は次のような機能をもつことを主眼とする。大学受験希望者は行きたい大学に行けて自らのやりたいことがやれる。大学での学問分野の選択や将来の自分の可能性、また受験にあたっての能力程度等々大学と自分をはっきり解りやすく交通整理してくれる存在が必要なのである。そのために必要な機能を全てそろえる。つまり、大学の情報と個人の情報を最も温かな方法、手法により、マッチングさせてやることなのである。社会や企業、更には国際的情報も必要に応じて配慮する。個人側の情報は、アンケートやテスト(性格、基礎学力・社会適応能力、適正な進路選択)によって集積する。更に志望する大学との学力ギャップについての補習も指導する。文献の精読と内容の分析力と要約力を養い、自己の意見や判断のとりまとめなどをさせてランクアップを計らせる。
本来の高校生活は人生の目的や自我に目覚め、自らが進んでやるべきことを見つけて、楽しく行うべきものである。結局、大学としては充実した楽しい高校生活ができたか否かの評価が必要となる。生徒たちには多くの選択肢から好きなものが選べるようにし、高校はその成長を助ける役目をもつ。生徒自らがやりたくなければ何も援助の方法がない。機会の平等とはそのような世界をいう。
だから生徒たちは必死で何かを見つけようとする。これまでの教育はこの辺が何もしていない。夢も希望もなく楽しくない高校、中学で人生にとって無駄な時間だけを過ごしているのが今の大半の子供たちなのである。大学の入口を変えれば高校や中学も変わってくる。 この大学入学者選抜事業とは、一言でいうと、高校までの教育内容やレベルに応じて、自らが行きたい希望とやりたい方向を客観的にマッチングさせる事業である。この場合原則として、大学独自の選抜は行わない。あくまで実力に応じた大学に第三者が公平にマッチングさせることに特化していく。そしてある時間(半年程度)に限って補習的なサービスを行うこともできる。これは大学生活になじめるようにある部分の補習を行えばワンランク上に行ける等、目的、効果が明白なケースについて行うべきだろう。要はいかに客観的なデータによって行われるかにかかってくるから、データの公表・開示は当然である。高校までの学力、生活態度など多くの評価項目が用意されるだろう。またアチーブメントテストも2〜3回程度か、複数回の成績も重視されよう。何よりも本人が何故その大学に行きたいか、そして何をやりたいのかのレポートは最も重要視される筈である。この入試制度は高校1年から予備的に進められていく。つまり、早くから予知し認識して、より希望に近づけるよう取り組んでいく。高校との密接な関係が必要となる。そして選抜の主旨はどれだけ多くのことを知っているかではなく、どれだけ深く考え、分析できるか、資料の読解力や必要参考資料の選択力までをも評価するような抜本的入試改革なのである。このシステムを進めていくと、当然大学の評価も3〜5年毎ぐらいに自らと外部からしっかり行われないと学生や社会から不満が出るようになる。大学自身の質と中身が公表され、評価され、レベルを維持できない大学は廃校となる。また約束以上の効果を発揮した大学の人気は高まる。この事業主体は大学、民間の巨大コンソーシアムで行う。そして常に情報のフォローを行い、新しい次世代の生徒のデータを入力していく。
このシステムが一般的入試として受け入れられていけば、高校のカリキュラムも大幅に変わっていくことができる。人格形成(倫理や哲学)とか基礎的教養(修辞学や弁論、語学)など人文学的教養をしっかり取り入れた、まさに大学への前段階的教育が行えることになる。そうなれば中学以下も自然にこれまでのような意義の薄い受験勉強はいらなくなる。小学生から「考える・意見をまとめる・発表する・議論の仕方とそのまとめ方」等を重点に楽しい教育ができる。読書力を高め、自分の意見を作り上げる、真の実力が身に付いていく。
これは国や地方など官だけでは成功しない。民の機動力、アイディア、向上心、優しさと暖かい心に支えられたフォローなど民間の優れた運営力を充分に用いることに意義がある。またこのシステムを実行するためには、現行の大学改革にしっかり位置づけし、大学や国民の合意のもとで進めるべきである。そして実行するために既存の関係する組織や団体を大団結することも必要だろう。その方がデータベースの作成が簡単だと思う。
最終の目標は子供たちの今の受験地獄をなくし、楽しみながらしかも厳しくそして何よりも自分の好きな学科を興味を持って学び、社会に通用する実力を身につけるという本当の教育ができるようにすることなのである。世界中の大学進学希望者が経験していくこの様な高校生活を日本の子供たちにも味わわせてやりたいのである。
大学教育によって養われる「実力」とは何だろうか?日本の大学はほとんどこれに応えていない。欧米の大学や戦前の日本の大学では、しっかりとした実力を授けることが出来た。現在の日本の大学はこの「授けるパワー」を全くと言っていいほど喪失してしまった。言い換えるなら日本人はこの数十年間に人間性を失い、基本的教養を身につけず、アカデミズムを社会生活からほうり投げ、考察力を持てなくなってしまった。当然自主・自立の精神もどこかへ忘れ去ってしまった。
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