| 第四章 これからの大学や学生が求める企業の姿 III
これまで述べてきた教育改革についてまとめてみると次の様になる。
1. 小、中、高とも、これまでの画一的、一方向的に教える、覚えさせる、反論せず素直に受け入れる、と言う教育から自らの考え−−即ち、本を読んで得た知識や他のコミュニケーションやメディアから受けた情報により組み立てた意見−−を口述したり、報告文により表現したり出来る能力を個人の差異を認めながら高めていく教育に切り換える。
2. その為に1クラスは20名以下の生徒にする。
教師が生徒個人個人の個性に充分対応できるような環境作りが必要である。
3. 4月からの新学期を9月又は10月とし、夏休みは教師も生徒も学校教育から完全に開放する。その長期休暇は社会教育として国をあげて取り組む。学校教育では与えられない社会教育を企業や家庭が責任をもって行う。その為には新しい職域が生まれる。例としてはACAを既に挙げた。既存の宗教活動及びボランティア活動からも参入を期待する。
4. 弁論大会やディベイト大会などを通して国際的社会人としてこれまで欠けていた議論の仕方や必要性を教育する。
5. 大学入試のシステムを大改革して日常の学校の生活を評価の中心にして何回でも標準テストに挑戦させる。また天才を早く見つけ出し天才としての教育をする。
6. 高校においては、かつての大学教養課程の大半を取り込んだ選択肢の多い体制とし、社会に対しどのような方向性に自分が適合するのかをつかみとらせる。と同時に教養を高める事への興味度を上げるような教育的視点を重要視する。(人文系)哲学、倫理、宗教、文学、芸術論、美学、歴史、地理、(社会系)政治、経済、法律、社会学などの学問を入門編として判りやすく教え、自らが本を読む人間へと導く。つまり評価をそのような方 ・ノする。高校入学と同時に人文系、社会系、自然科学系と選択させて興味を深めさせる。途中からの変換にも充分配慮し不足単位への補助も考える。人文系を選んだ子が社会系に翌年変換を希望したとする。1年で取るべき単位が不足してしまうから、これをどう補完するかを考える。自
らが努力して補う者に支援の手は差し延べられる。
これまでの結果平等にと言う変な日本ルールでなく、機会、チャンス、平等のルールを徹底する。だから飛び級や落第も本人の自由である。単位の取れない者は落伍する。その場合、別の興味、チャンスが充分社会には用意されていることを教え導く。
7. この様な学生が大学に何を学びたいかと言うテーマを持ってくれば、これまでの大学では満足しない。大変質をせざるを得ない。そこで日本の大学の再生はゴール、いや新しいスタートに着くことが出来る。大学改革は入ってくる新入生の質が向上すれば連動して良くならざるをえない。
それこそ見捨てられる大学が続出する。今のままの小、中、高の教育と大学入試制度のままでは大学は質的変革は難しい。そして多くの目的意識のない大学生は専門学校の門をくぐる事によってのみこれからの企業や社会に加わる切符を手にいれることが出来ると言う悲しむべき明日が待っている。
8. 現在の小、中、高の子供たちは物と金の面では世界一豊かであるかもしれない。しかし楽しい学校生活、充実した少年期を過ごしているかについては世界一精神的に貧しい生活を送っているにちがいない。21世紀を担っていくこの大切な若い命を世界の子供たち並みに楽しい、興味ある、活気ある生活に早く戻してやるべきだ。体力を鍛え、子供らしい興味に満ちた生活をエンジョイし、基礎学力を身につけ、ボランティアや仕事(手伝いやアルバイト)をも体験し、学校教育だけでなく社会教育にも参加して幅の広い入間形成が出来る様にしてやる教育インフラを整えてやる貢任が現在の大人には見えていない。生き生きとした輝く目をした子供たちが多くならねば、将来の日本は無い。
このような教育改革が実現してこそ21世紀の日本の社会や企業は世界中またアジアから認められ頼りにされ、共生していける土俵が出来るのだと私は思う。次世代の企業や社会のあるべき姿はこの教育界全体の改革がどこまで進むのか、進まないのかによって全く異なったイメージになるだろう。日本が世界中から信頼されリーダーとしての責任を持ち国際社会で立派にやっていく像を描くのか、世界から馬鹿にされ諦められ、それでも済力だけはあてにされている現在。しかし、その頼みの綱の経済力も衰えて国際的に見捨てられていく日本を描くしかないのか。その岐路、分岐点に今我々は立っている。明るいイメージを描きたいのなら社会改革に民主化の道を選び急速に実行せねばならない。教育改革もこの社会改革の一端に位置しているのである。
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