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大学を考える



大学再生の可能性をさぐる  
  大学コンソーシアム − 9 − [FMICS BIG EGG 1996年9月号より]
by  鈴木健夫
第二章 大学(教育)をとりまく諸問題

日本の大学における研究と教育の行方(上)

 明治からの大学は教養と所謂高等教育の「教育」の下地を高等学校でしっかり身につけさせた上で大学の専門教育を通して「教育」を行ってきた。戦後はアメリカ式に教育を改革するとして行われたがアメリカでは小学校、中学校、高校でそれぞれ根強く「教育」が行われており、その上に大学の「教育」がしっかり根付いている。然るに日本では小、中、高はその「教育」の部分をほとんど手つかずのまま大学に送りこんできた。それを大学では一般教養として2年間を費やし、哲学なるものに生まれてはじめて接するという無謀な教育を行ってきた。欧米では小学生ではそれなりの哲学、つまり「考えること」「論ずること」を充分に身につけさせている。また、「教育」とは何かということが、小学校から大学まで一貫して理念としてあって、その軸をしっかり守っている。
 ヨ−ロッパでも2000年の歴史に支えられて教育の理念の伝統が保持されてきた。だから現在の大学も50年前の大学も同じ線上にあって目的が共通している。常に「なぜ人は学ぶのか」をいかに越えるかがすべての学問の発達の基礎になっているらしい。科学が進歩し社会が多様化してきても欧米の大学は基礎的、根源的には微動だにしないだろう。

 ところが日本では教育は知識を身につけ欧米の文明文化に追いつけという画一的つめこみ主義が優先してしまった。江戸時代末までは朱子学や陽明学が柱となって哲学的思考と行動が育っていた。だからこそ維新の立派な人々を排出できたのだと思う。元来日本人は哲学的思考としての日本精神を次のごとく保有していた。神道、仏教、儒教(朱子学、陽明学)などをうまくおりまぜた「独自の精神文化」を築き育み1500年の国家を維持してきたのである。明治以後の欧米文明文化吸収期以後、その日本精神は脇に追いやられ、かと言ってギリシャ哲学以後の西洋哲学に立脚したその根本原理をこれまた脇に置いて闇雲に結果だけを追い求めてきた。日本における「教育」の空洞化はこのように130年も続いているのである。
 日本語の敬語は世界で唯一の没個性的言語としての日本精神を表している。また個人の利よりも家族、集団、国家つまり自らが帰属する仲間に対し利を求め、その翼の中で安住する−日本的集団主義、この没個性こそは欧米人にとって最も理解しがたい性格、日本人観である。そして、根本的には争いを好まない。話し合いで物事を決めるシステムとしての談合至上主義の国民気質をもっている。
 明治に通商条約が結ばれ欧米の商人が横浜に渡来し商業、貿易を始めた。ある外国商人が日本の商人を契約違反で訴え裁判に勝つた。当然敗れた日本人に莫大な罰金が課せられた。ところがその時日本の同業者達はその外国商人に罰金免除を申し入れ、もし聞き入れないなら日本の全ての商人が彼との取引をいっさい中止すると申し入れた。
 欧米流の考え(今の日本なら)であれば当然競争相手が一人減るのだから、その外国商人に「彼の取引き分は私にやらせてくれ」とこそ言え皆で合訴するなど信じられないことだと関心を引いたという。日本人は法より情が優先すると評した。美談として当時の日本人は賛同した。
 この日本人の魂、日本精神、日本人の哲学の根源とも言うべきものをしっかり日本哲学としてまとめて国民合意を行い、平和憲法を拠り所にするなら、これからの日本人は世界、特に欧米人に対し哲学的敗北感はない。なぜならこれからの世界は環境、人口、貧困、民族紛争その他国際的いざこざのほとんど全ての解決方法はこの日本精神の延長線上にあるからである。西洋流の一方向性の延長線上には戦争のみが待っている。私は国連の明石氏を支持する。彼はこの原則を貫こうと試みつつある立派な数少ない日本人の一人である。

 欧米の大学の教壇に立った経験のある日本の教授達は異口同音に日本の学生とは異なった反応、手応えを感じている。これは高校、中学、小学校でも同じである。学問に対している姿勢がちがうのである。彼らは先生に質問することによって自分の学識を深め広げようとしているのに対し日本の場合はただ覚えようとしている。考えることを訓練されていない。この基本的な差を是正しなければ、創造的な、高質な知恵づくり社会の到来はほど遠い。「真の日本的哲学」が広く一般に認識されるようになるまで、欧米の哲学をしっかり学び、学問の目的、理念、共有した「教育」をつくりあげねばなるまい。
 戦前の旧制高校から大学に進んだ学生は今の学生よりしっかりしており充分な教養を身につけていたと思われるが、当時の外国人教師たちは欧米に比べて人文的教養にすこぶる欠けていると嘆いている日記(明治文学全集23巻)に出くわし、私はさもありなんと思わざるを得ない。まして現在はどれだけひどい状態かが良くわかる気がする。


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