「編集」ということが、テレビや雑誌や音楽や映画などの編集に限らず、学習や教育などにとっても重要になってきたようですね。実際に、教育そのものを専門にしているわけでもない私に、高校理科の教科書の監修者になってほしいという依頼がきたので、驚きました。編集のお手伝いをするとか、ディレクションをするということならわかるのですが、これはいったいどういうことなのかと教科書会社に問うたら、「これからの学習は総合学習であり、関係の学習である。先生は、編集とは『関係の発見』だと言っていますよね。それをぜひ教科書で生かしてやってください」と。そうして教科書づくりにかかわってみると、生きた学習と教育の現場、文部省の指導要領をどこで結ぶかということがどれほど大事か痛感しました。
また一方で、私は大学で教えているのですが、大学生が自分の感情をあらわす言葉が著しく少なくなっていることに驚きます。「かわいい」とか「むかつく」とか、非常に制約された言葉だけで、毎日膨大なコミュニケーションを交わしている。自分の感動・感情・好き嫌いを表す言葉が少ない、つまり物に入っていくときの入り口の選択肢があまりにも足りない。日本中が、IT教育をどうするかということを大騒ぎしている一方で、大学生のボキャブラリーが少なくなっている。私はずっと編集工学ということを研究していて、3年くらい前から、パソコンやネットワークを使った学習がどうやったら効果的になるかということを考えて、実際にシステムやソフトをつくってきましたが、このような現象を見ていると、さらに考えさせられることが多い。
ITというのは簡単にいうと、自分の好きなところにすぐに行きたい、好きなものをすぐに手に入れたいという技術です。たとえば、小室哲哉以降のJポップスは、サビ頭と言って、サビを頭にもってくるような曲づくりをする。サビのフレーズを最初に決めて、プロモーションもCMも、業界全部がデジタル技術を媒介しながらサビをどうやって売るのかを考えている。これは、売れ筋商品だけを品揃えしていくコンビニ文化とちょうどよく似ています。
つまり、「サビ頭」というのは、一切プロセスに迷うことなく、目的に辿り着けるような文化・社会を創っているわけですが、そこへITが入りますと、その度合いがもっと激しくなるわけです。IT用語では「オン・デマンド」といいます。自分がデマンド(要求)したところにすぐいける、ということです。
もう少しわかりやすい例でいうと、かつてはオーディオもテレビも「つまみ」の技術文化でした。ラジオのチャンネルを合わせるときには、チャンネル=つまみをまわして、ピーピーガーガーというノイズの中を自分の行きたいところ探りながら、「あっち」というものに自分がつながっていったわけです。ところが、いまのテレビもラジオも、ボタンを押すだけで見たいチャンネルにすぐにいくことができる。インターネットもそうです。オン・デマンドで一発で行くために、ポータルサイトがコンビニエンスにつくってある。
しかし、いまのインターネットの問題は、例えば「宮沢賢治」に関する情報がほしいばあい、検索機能をつかって「宮澤賢治」に関するサイトを調べますね。このとき、膨大な数のサイトがひっかかってきます。結局、オンデマンドで「宮澤賢治」はすぐに持ってこられるけれども、そのなかから本当に自分が必要としている宮沢賢治情報がどこにあるかは、ほとんどわからないわけです。結局ほしいと思うコンテンツにはなかなか出会えないわけです。じつはITは最初から、そこを創りたくて革命的なことをやっているわけではない。むしろ今の学生たちが「かわいい」とか「むかつく」といった言葉だけで価値観をデジタルに振り分けているような文化を、ITがいっそう助長するといってもいい。
ひょっとしたらいまのITは、「なんだか最近の日本はつまらない」といわれるようなことの原因になっているのかもしれません。しかし、それが全部だめだ、ということではありません。そういうものを使って、いったい何ができるのか、何をすればいいのか、ということがまだ十分に検討されていないことが問題です。そして、教育や学習のためには、このようなITをどのように総合学習的に考えればいいのか、今日はそのような話をしようと思います。
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