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  ≪未来を創る学習≫セミナー

基調講演
私学の学びについて

東京私立中学校・高等学校協会副会長 實吉 幹夫 氏


「私立学校の教育はどのような視点にたって行われているのか」ということをご理解いただくために、まずは時代の流れからお話させていただきたいと思います。

ご承知のとおり、日本が高度成長期を遂げてきたのは1973年12月の石油危機まででございました。そして、高度成長期の社会が教育界に寄せていた要望というのは「国家社会の目的を達成していく」ということでした。学校教育、特に公立の学校では、この目標を念頭に置いて教育が行われてきました。このことが、今になってきてみれば画一的と言われ、非難を浴びていますが、私は、社会の構造から公立の学校は当然のことをしてきたのだというように理解をしております。

1970年代に入ると、社会の成熟期を向かえ、教育の世界でも個人の欲求の充足が優先されるようになります。例えば、「かつては『私』と言っていた「私」が、『この私』という言い方になり、それがさらに『かけがえのない私』と言うようになった」という言葉があります。これは、個人の見方、つまり「私」の表現の仕方が変わってきているということなのでしょう。

そして70年代の後半からは、個人の自己満足優先の風潮がますます膨れていき、社会の産業構造も、第一次産業や第二次産業を中心とする「生産社会」から、第三次産業や第四次産業といわれるようないわゆる「消費社会」へと移り変わっていきます。教育界でも、少なくともお子さんを教育していくということは「消費していく」ことではないと思っていましたが、今や学校も「教育産業」と言われてしまうように、社会の評価の中では、消費財という位置づけに陥っているのかなあという感じを持っております。そういう意味では、消費文化が学校にも浸透してきているということになると思います。このことをもう少し見ていくと、学校というのは社会的な人間の形成をしていくという場であって、学校教育とはある意味では独占を許されていた分野だと理解しているのですが、いつの間にか、たとえばテレビやメディアやITなどが入ってきて、教育を受ける場というのが必ずしも学校だけではなくなっているように思います。むしろ学校とそのような消費社会・産業社会が、ある意味では競争・対立の関係になっているのが現在の学校がおかれている状況なのではないかなと思っています。

では、社会の変化をどのように捉えるかということですが、5つのキーワードがあると思います。それは「技術革新の進歩に伴う社会の変化の流れ」「高度情報化に伴う社会変化の流れ」「高齢化の進行による社会変化の流れ」「国際化社会の到来に伴う社会変化の流れ」「ハード化社会からソフト化社会の変換に伴う社会変化の流れ」という5つです。このような社会変化の流れをまず捉えていただいて、その上で、「教育のベクトルがどのようなところに向かうのか」という事が、次の視点になると思います。

先ほど、教育がどういうところを背景としているか、ということについてお話しましたが、ちょうど高度経済成長期の時には、国家が達成すべき目標があって、それを背景として教育が存在していたわけです。教育に求められていたのは、「社会にとって有為な人間を送り出す」ということだったんですね。では、これからの時代では教育は何を背景としていくかということなんですが、私は「子供と向き合う」ことではないかと思います。

子供というのは親を選べないと同時に自分が生きる時代というのも選択できないわけです。それに対して、学校教育の期間とは、子供が一生のうちでかかわる社会の中で唯一失敗を許される社会だと思うんです。最終的に学校を出るときに100点を取る力を備えていてほしいとは思うんですが、失敗を繰り返す中でいろいろな経験を積んでいくのであって、学校教育の中では「失敗を許さない社会」を作ってはいけないんですね。ですから、学校が「失敗を許される社会」という存在であれば、お子さんは生きる時代を選べなくても、その子供たちにわれわれは向き合っていけるのではないかと思います。

そして「私学の使命とは何か」ということなんですが、「あらかじめ用意された社会に人を送り出していく」というのではなく、「個人の資質と個人の能力が高い人々を学校の中で育てていく」ということだと思います。「ひとづくりや人間形成をすることこそ、日本をよくすることだ」と信じている存在、それこそが私学ではないかと私は思っているんです。このことは、世界の中で「日本」を固持していくことに繋がるのではないかと思っております。このように、「個人個人の成長をどう手助けできるのか」ということを考えるのが私学の役割であり、私学の各学校には、それぞれの培ってきた伝統や叡智が集って、それぞれの教育プログラムが存在しているんだという事をご理解していただければと思います。

さて、東大の刈谷武彦先生が今の子供たちの学力低下について書かれていますが、その刈谷先生とご一緒に教育社会学の中で研究をなさっていた志水宏吉先生の「学力を育てる」という本(*)の中に、興味深い図がいくつかありますので、そちらを元にお話していこうと思います。

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そこにありますように、文部科学省の政策はどうも「振り子」のようなのですね。「態度重視、進歩主義、子供中心主義」という極から「知識重視、伝統的な教育」という極へと、どちらに主眼を置くか、重んずるかということで、その時々の学習指導要領は何回も大きく変わっていっているんです。このような変遷の中で教育課程は組まれてきたんですが、では「学力」をどう考えていくかということが、非常に重要になってくるわけです。

私は、「学力」をどう考えるかという視点が、教育界の中で定まっていないのではないかと思います。例えば、「計算力」と一口に言っても、理科の先生と数学の先生では計算力に対する答え、つまり定義が違うんですね。

かつて今の学習指導要領が組まれるときに、円周率3.14の事が話題になりました。小数点以下の計算をするかしないかという話ですね。数学の先生は、小数点以下の計算ができるかできないかは数学の世界では問題にならないとおっしゃるんですね。つまり、分数がわかればいいんだと。「3.14」は「100分の314」ということを理解してくれればそれでいいんだと言うんです。

ところが理科の先生に言わせると、「今の子供たちに対して困っているのは、数を順番でしか理解していないことだ」とおっしゃるんです。今の子供たちにとって1、2、3という数字は、1番、2番、3番というように順番付けをする数字ではあるんですが、量として数字を捉えることができていないというんですね。そういう意味で、理科では小数点以下が必要になってきます。例えばアスベストの問題で考えると、アスベストを含んでいる量はどれくらいかということになったときに、基準法では「1パーセントまでは許容」ということになっているんですね。この時、量が重要になっているわけです。このように、理科、特に化学などでは数を質量として捉えることが重要になってくるわけです。その意味で、理科では小数点以下の計算ができないと困るわけです。そういったことで、「計算力」ということも教科によって変わってくるんですね。

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このようなことを考えると、「基礎学力」や「学力」をどう捉えるかということが重要になるわけです。そこで、この志水先生の図「学力の氷山モデル」「学力の樹」という二つを参考にご説明していきますと、私どもが表面的にテストなどで判断していくのは樹の図でいうと葉っぱの部分だけなのかもしれません。ところが、大きな樹を作っていくためには、根がどうなっているかという事や、根から育っていく幹がどれくらいの太さや強さを持っているのかという事、さらに、樹は一本では倒れてしまいますので、群生のまとまりの中で強い風にも耐えていくという事、これらを考えるのが必要になってくるんですね。このように、一人ひとりのお子さんを一本の樹だと考えて、お子さんのどの部分に力をつけていくかを考えるということが大事なんではないかと思います。

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先ほど、従来の生産社会から消費社会へと社会構造は推移しているという話の中で、学校が置かれている状況はずいぶん変わってきてしまっている、という話をしました。それを考えると、従来は「葉(知識や理解)」「幹(思考や判断)」「根(意欲や関心や態度)」の部分を、家庭や学校など、それぞれどこで育てるかという区別がはっきりとついていたんですね。ところが今はすべてが学校に任せられてしまっている。文科省はその役割を家庭に還そう、地域に還そうと言っていますが、なかなかそうはいかないと思うんです。つまり、従来の生産社会の中での地域の役割や家庭の役割が、消費社会の中では変化してしまっていると思うんですね。

我々はともすると、家庭や地域が変化しているということに気がつかないままに、その役割を家庭や地域に還そう、と言ってしまっているのではないでしょうか。ですから、「一人ひとりの樹をどうやって作っていこうか」つまり「一人ひとりのお子さんをどうやって育てていこうか」ということを考える時に、家庭と学校で共通の理解を持って、連絡を取りながらやっていくことが重要なんではないかと思います。

そして、実はこの部分が、私立学校の建学の精神・教育の理念にかかわっていくことなんですね。私は、学校というのは運命共同体ではなく理念共同体だと思います。理念を同じくする教員、保護者、卒業生などが集まることができる、これこそが私立学校ではないかと思うんです。ですから、私学で学ぶということは、「学力の樹」のもとでお子さんを育てていくということなんだろうと思うのです。

また、「人間力」ということに関してですが、それは「人間としての総合的な力」、つまり知・情・意ということだと思います。これを体の部位で考えますと、先ほどの樹の話では葉っぱの部分だった「知識」や「理解」の部分を育てていくことが「アタマ」、そして心をどう鍛え、どう力をつけていくかということが「ココロ」、そして同時に「キモ」、更に、体全体の力である「カラダ」という4つの部位になるかと思います。これを同時に育てていくことが人間力を育てていく上で重要なのではないかと思いますね。「アタマ」だけではなく、全体を伸ばしていくためには、「人とのかかわり」というつながりが大事になるのです。ここででてくるのが「私立学校はどのような子供を世の中に送り出していこうと考えているか」ということです。その答えは「考えることができる子供」なんですね。

大人になるとはどういうことかというと、「考えることができ、計画でき、行動でき、顧みることができる」ということだと思うんです。こういう大人を作るために、「考える×意欲×経験×才能」という数式が必要となるのではないかと思います。経験ということに関して言えば、経験化されていない体験というのが、子供の中には非常に多くあると思います。しかし、ただ体験しただけでは何の意味もないんですね。それを体の中の経験にしなければいけない。つまり、人とのつながりを認識させるということや、座学だけではない学びをさせることが、人間力になると思うんです。少なくとも、「考える」「意欲」そして「経験」までは誰もができる話ですから、小学校時代までにぜひやってきていただきたい、それが中学校以降の学びにおいて花開く力になると思います。

最後に、この言葉をお送りしたいと思います。
Learning to know  (知ることを学ぶ)
Learning to do    (成すことを学ぶ)
Learning to live together(共に生きることを学ぶ)
Learning to be     (人間として生きることを学ぶ)
これは1993年に設立された、ユネスコの「21世紀教育委員会」が、21世紀の教育はどういうものになるかということを考えた時に発信した言葉です。特に、Learning to be(人間として生きることを学ぶ)という言葉がいいですね。たぶん多くの私立学校はこの言葉を土台として、各学校の教育活動を展開していっているのではないかと思います。

先ほど横田会長から首都圏の私立学校のお話がありましたが、東京には現在246の法人が中学校と高校を作っています。その内訳は、中学のみの学校が5校、高校のみの学校が67校、そして中高両方を法人の中に構えている学校が173校となっています。さらに、173校の中で男子の中学校というのが38校、女子の中学校というのが84校、男女校が56校という内訳になっています。すると、申し上げた中で、女子校が多いということがお分かりになるかと思います。

今、「女子校の歴史的な使命は終わった」と言う方がいらっしゃるんです。しかし私はそうは思いません。よく私どもも「なんで共学校にしないのか、そうすれば生徒がもっと集まるのに」といわれますけれども、経営のためだけで学校経営をしているわけではありません。子供をどう教育していくか、ということが、学校が負っていくべき役目です。ですから、東京の公立の学校に男子校・女子校が無いんだとすれば、私立学校に男子校・女子校があっていいじゃないか、それが私立の生きる道じゃないかと思うんです。

今後、私学の取る道は三つあります。一つ目は「栄光ある長い伝統を守り抜いて、建学の精神に殉じて消えていく学校」であり、二つ目が「社会のニーズに応えようと時代の後を追い続け、先進校と言われる学校の中で、成功した事例だけを追いかけていくことで生き延びていく学校」、そして最後が「時代に即応、あるいは時代を先取りして、学校の新しいあり方を模索し、むしろ時代と教育をリードしていく理念を構築し、実践して行く学校」という三つです。私は、私学はこれからこの三通りに分かれていくのではないかと思います。先ほど横田社長のお話の中に、大学進学実績だけが学校選びの指標では無いのではないか、という提言がありました。それを踏まえましても、皆様方がこれから学校選択をしていくときには、3番目を志向している私学を探し出して、そこに預けることが大事なんだろうと思います。

これからは女性の社会になるんではないかと思います。実は10日前に孫が生まれました。嫁が10ヶ月間、耐えに耐えて孫を生んでくれたんですけれども、その時に「女性というのは自分の生命をかけ、自分がリスクを負って生きていくことができるのだな、女性とは偉大なんだな」と思いました。これからの社会はリスク責任を負うという事が非常に重要になってくると思います。今日お集まりの皆様はお子さんをお持ちの方でいらっしゃいますから、ご自分の生命のリスクをかけて、次なる世代を自分の手元においておられる方だと思いますので、そういうことに敬意を表しながら、これからは女性の時代ではないか、ということで最後の締めにしたいと思います。

* 出典:志水 宏吉著 「学力を育てる」 岩波新書

 


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