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◆雲ひとつなく晴れ渡った空の下、豊かな自然に囲まれた横浜国際女学院翠陵中学校(以降「翠陵」と表記)に、入学を志望する小学生やその保護者が集まった。
◆「見つめているのは世界」という言葉のとおり、翠陵における世界と触れ合う機会の多さには目を見張る。ある生徒は「いろいろな国へ行き、コミュニケーションをとる機会が充実している」と言う。その際、使うツールは英語である。その英語を、生徒たちは日ごろから学び、身に付けてゆくことができる。というのも、理科や家庭科の授業においても英語の文献を扱うことがあり、まさに「日常でも触れていられる」という環境が翠陵にはあるからである。世界標準語として、10億人が使っているといわれる英語を身に付けてゆくことで、たくさんの人と直接言葉を交わすことができる。報道や教科書にはない、実体験に基づく話を聞くことで、考えが広がってゆく。
◆世界に目を向けているのは生徒だけではない。日本の国会中継を観ていると、議員たちは必ずといっていいほどレジュメを用意し、それに目を落としながら話をする。日本と欧米の違いとして、しばしば取り上げられることである。しかし、翠陵の先生方は違う。ひとたび人前に出れば、自分の中から湧き上がってくる言葉と、そして目で訴えて来る。まるで大統領演説のような、想いを伝え、さらに人を魅きつける、そんなインパクトを与える。話し方ひとつ取っても、国際的な雰囲気を感じさせる。
◆翠陵の生徒たちが持つ特長のひとつに、目標意識の高さが挙げられる。頻繁に出会う国際交流の機会において、世界を感じ、自分たちが10代を恵まれた環境で生きていることを知った彼女たちは、自分がどう生きるかを考える。その環境を活かして、自分は何をしたいのか。「英語を使って友達をたくさん作る」、「日本と世界の掛け橋になる」と、目標は様々だが、「やりたいコトができるのが翠陵の良いところだ」と言い切る生徒たちの目には、強い想いが溢れていた。
◆卒業後も、翠陵で身についたモノは、血となり肉となって生きつづけている。海外の大学で日本語を教えている卒業生は「知識としてあるモノと見たモノとの違いを感じることで視野が広がる」と言い、母校である翠陵に学生を率いてやってきたという。その卒業生は「いま使っている英語は半ばあたりまえ。でも中国語を身につけたら、今の倍以上の人とコミュニケーションがとれる。だから再び翠陵で学ぶなら中国語を身に付けたい」と言っていたそうである。翠陵で身についた「あたりまえでないところに目を向ける」考え方が、世界を近く感じられる気づきに繋がったのだ。
◆生徒たちは、「考えることのできる女性(ひと)」という校訓どおり、数々の体験を通し考え、気づき、そして「自分というモノをしっかり築いて飛び立ってゆく」のである。
◆説明会と同時進行で行われた模擬入学試験。説明会終了後、その模擬合格発表が事務室で行われた。自分の番号を見つけ、手続きへと向かう彼女たちは、もう既に目標へと向かって歩みだしていた。
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