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■ 『掃除』とは六甲学院の大きな特徴の一つである。いや、六甲の全てであるという人も少なくないだろう。世間一般の学校では、業者の人が学校の掃除をしているという所もあるのではないだろうか。自分たちが汚した所を自分たちが掃除するということなど、当たり前な事ではないだろうか。自分たちで掃除するからこそ、『汚さないように使おう』あるいは『ごみの分別はちゃんとしよう』と思うようになるのである。
■ この六甲学院には生徒が運営する面白い機関が存在する。その名も『訓育委員会』と言い、その生徒を『訓育生』と言う。主に掃除の監督や全校生の頭髪検査、遅刻者やサボリにペナルティーを課し管理するのが仕事である。『なんだ、風紀委員か。』と言う人がいるかもしれない。そんなに軽いものではない。もっと重く、もっと深い。何よりの違いは、彼らはその仕事の一つ一つに誇りを持っている点である。60年以上もある伝統を支えているのは彼らである。
■ そんな訓育生が生徒の掃除の監督をする。主に下級生の掃除の監督である。しかしここで、『生徒が監督するから掃除がいいかげんになるのではないか。』と疑問に思うかもしれない。そうかもしれない。だが、彼らは自分の監督範囲が汚かった時は監督一人で掃除しなくてはならないため、妥協はしない。以前、自分の掃除監督の先輩にこんなことを言われたことがある。
■ 私が早く終わらせたいがために適当な掃除で『先輩、掃除終わりました。』と言うと、彼はすぐにこう言った。『じゃあ、その掃除した床を舐めれるのか。』と。私はそれから1時間あまり廊下の床を拭かされた。彼らはチェックをする時、指先にほこりが付くかどうかまで隅々まで調べる。妥協はないのだ。教室の掃除では、仕上げに床を手で掃く。それをやると教室の床が本当にフローリングのようになるのである。
■ トイレ掃除についての噂を聞く人もいるだろう。今、トイレに入って市販されている石鹸の香りや汚物の匂いがしない学校はあるのだろうか。この六甲学院はしない。妙な防臭剤など置いてない。そこには、澄んだ山の空気しかない。トイレ掃除の格好を言うと短パンに上半身裸、裸足である。そして、たわしを当然素手でつかんで便器を隅々まで磨く。どんな汚れもたわしでこする。匂いのないトイレは六甲学院ぐらいしかないだろう。
■ これらの掃除は平均40分ぐらいかかるため、当然サボる者もいる。そんな人にはペナルティーが課せられ、土曜日に3時間程、溝掃除や枯葉拾いをやらされる。これは絶対に逃げることができないもので、結局やらされる羽目になる。六甲と言う学校にとってどれほど掃除が重視されているかがよくわかるであろう。
■ ところで、今の10代の若者で、『パソコンが使いこなせる人』のうち『ほうきでちゃんと床を掃き、雑巾をしっかり絞れる人』はどれほどいるだろうか。IT社会と言われパソコンの一人1台が当たり前の今を、デジタルな世界と言ならば、六甲学院の掃除はアナログの世界なのかもしれない。自ら手や体を動かして掃除する時代ではなく、人を雇い、コンピューターで管理するのがある意味当然な時代なのかもしれない。
■ では、時代を逆行しているこのスタイルは、考え方が古いのだろうか。確かに『伝統』と『時代遅れ』は紙一重と言えるかもしれないが、時代の流れに関係なくいつの時代でも通用するからそれが『伝統』となり、伝え続けられるのではないだろうか。つまり今日の人間が見失い、忘れてしまっている大事な部分を補うのが『伝統』であり、また六甲学院の掃除というアナログ世界なのではないだろうか。
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