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§38 少子化の影に存在する「家族形態の変化」−コミュニケーションスタイルと教育への影響−

by 岡部憲治
2006/8/25

■今月21日に厚生労働省から発表された人口動態統計によれば、2006年上半期の出生数が6年ぶりに増加に転じた。メディアによれば婚姻数の増加と景気回復による定職率上昇が一因だという。 1.25まで低下した合計特殊出生率に、少しは歯止めがかかるのだろうか。
 気になるのは今回の上昇基調が「なんとかしなくては」と焦る国や自治体の思案や試みからもたらされたものかだ。
 もしも、大部分が「景気回復基調」に下支えされたものであれば、少し先に視えている「増税」などの消費マインドに影響を与える材料が出ればあっという間に上昇基調がなくなることが予想される。実際、景気回復の主役は今でさえ「家計部門」ではないのだから。

◇ ◇ ◇

■「少子化」も問題だが、もっと気になるのは家族形態の変化だ。国立社会保障・人口問題研究所の世帯動態調査によれば「平均世帯人数」が2.9人から2.8人に減少し、過去最低を更新した。
 お隣、韓国でも「平均世帯人数」は2.88人でさらに特徴的なのが5世帯に1世帯が「一人世帯」。夫婦二人の「二人世帯」を合わせると全体の42.2%を占めるという。つまり、ほぼ2世帯に1世帯が

「両親と子ども」

という家族形態ではないということだ。昔は「大家族から核家族へ」といわれたものだがさらに細分化して

「各核家族」

とでも言うような形態に変わりつつある。

◇ ◇ ◇

■日本でもこのような傾向が進めば、いくら国や自治体ががんばって「少子化」に歯止めがかかっても、昔の「大家族」や「核家族」のような家族形態には戻らない可能性もある。そうすると次に問題になってくるのが「教育」だ。

◇ ◇ ◇

■自分の身近に、離婚し片親のもとで過ごす子どもがいる。その子はいつも毎月届く子供向け「教材」をすごく楽しみにしているのだが、その内容は常に

「おとうさんとおかあさんと子ども」

という家族形態で構成されている。もちろん、それが「普通」と言ってしまえばそれまでなのだが、その子のふとした表情に「さみしさ」を感じてしまう。そんな経験をもつのは自分だけだろうか。

◇ ◇ ◇

■ある私学の先生から今の生徒の4割近くが「一人っ子」ということを聞き、わかっていたもののあらためて「少子化」を認識した。ただ、わからないのはその「一人っ子」のなかにどのくらい「各核家族」となっている子どもたちがいるのかだ。

◇ ◇ ◇

■自分は男二人兄弟で、長男だ。小さい頃はよくケンカもしたし「兄の特権」も行使した気がする(笑。行き過ぎたことには両親から仲裁が入り、時にはその仲裁で両親がケンカしたこともあった。長い時間のなかでお互いの感情がぶつかりあいながらも

−どこまでが許されてどこまでが許されないか
−主張・強調すべきとこ、ぶつかるべき時、妥協すべきとこ・妥協すべき時

など人と人とのコミュニケーションで必要となる機微を学んだ気がする。 それが「家族」のなかで長い時間をかけてある程度形成され、学校や社会で「他人」とコミュニケーションするときの基礎となったのかもしれない。

◇ ◇ ◇

■自分の時代は学校のなかでも「一人っ子」のクラスメイトは少なかった気がするし、ましてや「各核家族」の子はレアケースだったと思う。
そういう「一人っ子」の子どもたちも学校という場で「他人」とコミュニケーションをとっていくわけだが、その「他人」の多くが

「兄弟・姉妹ありの両親あり」という環境で培ったコミュニケーションスタイル

を持っているのだから、当然、その影響を強く受け学生時代を過ぎる頃にはほとんど上記のコミュニケーションスタイルを身につけていたのだろう。

◇ ◇ ◇

■今まではそれでよかったのだ。だが、これからはそのことについてもっと深く考えていく必要がある。なぜなら、子どもたちが育つ環境で最初にもっとも影響を受けるのは「家族」であり、その形態が今までのものと違うというのであれば学校に入学して「他人」とコミュニケーションをとる年齢になるまでに体得したコミュニケーションスタイルがあきらかに今までとは異なるからだ。

◇ ◇ ◇

■つまり、学校でコミュニケーションする「他人」が、自分の時代と違って

「一人っ子の両親あり」        という環境で培ったコミュニケーションスタイル 
「一人っ子で両親ではない」     という環境で培ったコミュニケーションスタイル  
「兄弟・姉妹ありの両親あり」     という環境で培ったコミュニケーションスタイル  
「兄弟・姉妹ありの両親ではない」  という環境で培ったコミュニケーションスタイル 

という様々なタイプで構成されているのだから、

−どこまでが許されてどこまでが許されないか
−主張・強調すべきとこ、ぶつかるべき時、妥協すべきとこ・妥協すべき時

は、あきらかに多様化してその許容範囲も人によって異なるだろう。

◇ ◇ ◇

■ 自分の時代のコミュニケーションスタイルが「普通」と考えるのはむしろ時代遅れなのかもしれない。単純に

「兄弟・姉妹ありの両親あり」という環境で培ったコミュニケーションスタイル

が大勢いたのだからなんとなくそれが「標準」となっていただけなのだ。
 例えばアメリカだったら「移民の国」で様々な人種で構成されているから「違い」をはっきりさせることによって線引きし「指針」が作りやすい。だが、基本的に日本は単一民族国家なので線引きが難しく「指針」が作りにくい。それこそ「標準」なんて家族形態によって違ってくるのだからありえないのかもしれない。

◇ ◇ ◇

■ 「教育」とは何も学校だけで行うものではない。家庭や学校外の活動や近所づきあいやそれこそ公共の場など数限りない。そう考えると、今の時代のコミュニケーションスタイルがどのようなものかを最初に認識しなければならない(学ばなければならない)のはむしろ自分達「大人」なのかもしれない。

◇ ◇ ◇

■実は日本のメディアではPISA(学習到達度調査)の「結果」ばかりが取り上げられているが、報告のなかでは家族のバックグラウンドと学習到達度の相関関係も記載されている。

◇ ◇ ◇

■明らかに今後の「教育」を考えていくうえで「家族」は避けて通れない要素であり、「少子化」の影に常に存在する「家族形態の変化」を見逃してはいけないのではないだろうか。

「私たちの時代はこうだったからこれが正当なんだ」

と無意識的にあるいは意識的に思い込んでいること。これが一番危険な罠であることは間違いない。

[参考記事・参考放送・参照URL]

中央日報:「5世帯に1世帯が‘一人世帯’…離婚・生計型別居増える」より

日本経済新聞:「出生率が大幅低下「1.25」に、社会保障の前提に影響も 」より

読売新聞:「上半期の出生数、6年ぶり増加…出生率も上昇の可能性」より

産経新聞:「少子化歯止め 挑む自治体」より 

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