| §17 ダーリンに激しく同意♪ −英語と日本語 国と個人− |
by 岡部憲治
2005/08/05
■ 遅まきながら、
「ダーリンは外国人」・「ダーリンは外国人2」・「ダーリンの頭ン中」
を読んだ。小栗さんとトニーさんに「激しく同意」だ。
◇ ◇ ◇
■ 激しく同意(1)−小栗さんの言う「日本語は表記に深みがある。」−
日本人のハーフの子が日本語が漢字・ひらがな・カタカナの三種類あるのは外国人からしたら不便。全部ローマ字にすればと。
なるほど。学ぶ側からしたそうだろう。難しいことこの上ない。
三種類の表記で全然受けるニュアンスが違ってくるのが日本語だ。本中では「友達」が例としてあげられているが、自分が選ぶとすれば
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「日本」 |
「にほん・にっぽん」 |
「ニホン・ニッポン」 |
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「魅力」 |
「みりょく」 |
「ミリョク」 |
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「言霊」 |
「ことだま」 |
「コトダマ」 |
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「子供・子ども」 |
「こども」 |
「コドモ」 |
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以前、テレビ東京のワールドビジネスサテライトという番組でアニメ「ナルトNARUTO」を全米放送する際の英語への翻訳作業のニュースを目にした。忍者の忍術を日本語の言葉に見合った英語に言い換えるか、それともそのままローマ字表記的に日本語として表現するか。選択が迫られていた。
わかりやすさを優先すれば英語の言葉に置き換えるところだが、「忍術」というオリジナリティーと見れば一発でわかるだろうということから日本語がそのまま採用された。ただ、アニメでは声(音)なので「表記」まではわからない。
「螺旋丸」が「らせんがん」でも「ラセンガン」でもないところに魅力を感じる。これが日本語の奥深さだろうか。
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■ 激しく同意(2)−トニーさんの言う「英語に対する日本人の完璧主義。」−
自分も高校までは文法の細かいところまで勉強させられて、理屈にあわない例外が出てくるたびに癇癪をおこしていた。留学してからはそんなやり方ではとてもじゃないが追いつかないので、ある程度「流す」ようになった。それを繰り返すうちにむしろ全体像というかなんとなくぼんやりと推論的なスキルが身についたように感じる。今でもそうだが「100%理解」なんて「ありえねぇ〜」だ。
フィンランドについて書いたときにも少し触れたが、他言語で並べるとわかりやすいのは確かだ(オカベの目 §4参照)。単語がどのように言い換えられているのかを知るだけでずいぶん違ってくる。
フランス語にしてもイタリア語にしてもスペイン語にしても、時々、英語と似たようなつづりの単語に出くわす。発音は違えどその意味は推測がつく。でも、そういう推測術は外国人(西洋の方)の場合トニーさんの言うようにどんどんと先に進んでいく姿勢が身についているから自然と備わっている。
でも、日本での英語習得術でそのような姿勢がつくかどうかは少なくとも自分の受けた時代の英語教育では難しかったと感じる。
また、テレビの「外国語講座」で日本語の説明部分がものすごく多いことにトニーさんは不思議を感じると書いてある。テレビの「外国語講座」は時々見るが、番組としてはとてもおもしろいのだが、回ごとのテーマが連鎖的ではないのでトリビアのように「へぇ」で終わってしまう。例えば、ある単語の使い方に焦点をあてて
「色々な場面で使えるよ。」
まったくその通りなのだが解説が多いので、聞いて「へぇ、そうだったんだ」と感心してスルー。ビジネス英語の講座はまだ連鎖的なのだが、特定のフレーズの多様な使用方法への焦点が多いのは否めない。実際のビジネスの場では共通のテクニカルタームをちゃんと理解していれば仕事そのものにそれほど弊害はなかった。問題は慣習の差だ。それはなにも国という枠組みではない。その人がどのような人生を歩んできたかでその差も人によって全然違うからだ。
そんななかで一つだけ毛色が違うのが、毎週 火曜日NHKで放送されている
だ。
これはNYU(ニューヨーク大学)のESLのクラスの様子をそのまま放送しているという感じなのだが、日本語は全く使われない。単なる授業中継のようなので見ている側からすると「親切じゃない」「わかりにくい」「トピックがはっきりしない」「つまらない」などの感想がでてきそうだが、実際に留学してESLのクラスに参加するとあんな感じだ。
「参加すること」と「理解すること」は別ものだ。そういう意味ではシミュレーションとしてすごくよく出来ている番組だ。ただ、見ればわかるがあちらは双方向型の授業なので一人で練習ができないというのが難点だろうか。
結局、あちらの方法にしても「ドラゴン桜」で紹介されている勉強方法にしても「一人で勉強する」というのは大局のなかの一場面でしかないのかもしれない。マンツーマンとは言わないがよきジェダイマスターたちが必要なのは確かかもしれない。
◇ ◇ ◇
■ 激しく同意(3)−トニーさんの言う「『多民族』のなかで暮らしていると外見では外国人かどーかなんてわかんないもん。」−
全くそのとおり。逆を返せばアメリカやヨーロッパの人たちの意識のなかで、初見では「人種」という枠組みで相手を見るということだろうか。日本人かどうかなんて関係ない。一アジア人として見られるということだ。
で、話してみて英語が流暢にしゃべれれば、英米豪生まれの国籍と思うかもしれないし、留学してたかもしれないと思う。でも、まだアジア人。
で、はじめて「どこからきたの?」
「日本」
ここで、はじめて日本人と確定。
私たちの意識のなかではどうだろうか?相手が東アジア人であれば、初見はまず「日本人」だろう。白人であれば「アメリカ人・イギリス人・カナダ人・オーストラリア人」のどれかで「一白人」という意識よりも「国」という枠組みで見るほうが強いのではないだろうか。
これが単一民族国家(正確には違うかもしれないが)と複合民族国家に住む人の意識の違いで、国という共通枠組みは持っていてもそれに対する意識の差というのは場所によるのかもしれない。
◇ ◇ ◇
■ 激しく同意(4)−トニーさんの言う「アインシュタインは自分の電話番号を覚えていなかったと伝えられている。…中略…『なぜ?』と聞かれたら、彼は『本で調べられるものは覚える必要あるか』と答えて、電話帳をひきはじめたという。」−
本当かどうかははっきりしないらしいが、これにも「激しく同意」だ。今は電話帳の代わりにインターネット。ますますアインシュタインの考え方が実践されていくのだろう。
◇ ◇ ◇
■ 激しく同意(5)−トニーさんの言う「地図」について−
以前から知ってはいたが、世界地図を「World Map」という単語でググッってみると世界標準の「世界地図」がわかる。その地図で日本はどのように世界から見られているのだろうか。そして仮に経済的発展やゲームやアニメなどのポップカルチャーがなかったらどんな位置付けで世界から見られていたのだろうか。実際、今のアメリカ人でさえ世界地図で日本の位置を聞いても指せない人が多いのが現状だ。
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■ 今回は書評風になってしまったが、つまるところ
という考え方に「激しく同意」だ。
しかし、読者反響に「国際結婚目指します」というのがあったがよくわからない。結果としてそうなるのと最初からそれを目指すのは何か違うのではないだろうか?玉の輿にのるというのであれば、経済的安定や贅沢への欲望というわかりやすい動機が見えるが「国際結婚目指します」っていったい。。。
とにもかくにも、アメリカで英語版が出版されるそうだがその反応に興味がある。いったいどのような層の人たちが読みどのような反応が返ってくるのか。とはいえ、文化や人種を超えた結婚なんて日常茶飯事なのだからむしろ日本人の考え方を深く掘り下げて読むということになるのだろうか。
ちなみに、オカベの目§15で触れた「escape」。やっぱり違っていた(汗。
e + scape ではなく、 es + cape のようだ。どのような由来かは「ダーリンの頭ン中」参照。
[参考記事・参考放送・参照URL]
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