| §10 「ネットの匿名性」が及ぼすNew SAT®& Next Generation TOEFL® への傾向 (2) |
by 岡部憲治
2005/07/14
■ SAT®にしてもTOEFL®にしても、基本的には知識とスキルの集約であることに変わりはない。だが、個々の独創性(オリジナリティー)をどこに見出すかという点では、「ライティング」に重点がおかれていると考えられる。
「ライティング」と言ってもちゃんと「型」が存在する。どのタイプの型を使うかはその出題された意図をきちんと考えて選択する必要がある。そして正しい「型」を選択したうえで重要になってくるのが「コンテンツ」だ。
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■ 先に触れた小田嶋さんの記事中にもあるように、単なる情報の羅列やトリビアではまったく意味をなさない時代に突入しつつある。iBT(Internet based TOEFL® (※1))などはインターネットで行うのだから、もしかしたら他のページをブラウジングしながら受験が可能かもしれない。そうなったらライティングではネットで得た情報をコピペして終了する可能性もあり、それでは単なる情報紹介のエッセイで終わるか盗用ということになってしまう。本人のオリジナリティーはどこにも見出せない。
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■ つまり、自分の頭の丸暗記的な知識だけではコンテンツとして「不足」という評価をされる時代に入っているのかもしれない。昔ならば情報収集とそれにかける時間に価値があったので、その行為から得られる膨大な資料やデータはその人の努力の証として高い評価を得られた。しかし、ツールの発展は評価の価値観も変化させており、例えば、昔ならば
「よく調べたね」
の一言で終わったものが今なら
「自分なりによくまとめたね」
という一言に変わってきているという現実を認識することが求められているのかもしれない。
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■ 自分が大学に在籍していたときに今のインターネットはまだ存在していなかったが、授業ではプレジャリズム(plagiarism)とビブリオグラフィー(bibliography)の大切さが初歩のクラスの段階でたたきこまれた。つまり、盗用は著作権の侵害であり最も忌み嫌うべき行為だということを強調して教授されたのだ。
そうは言うものの、昔から「論文売ります」「リサーチ代行します」を生業とする商売は存在したし、今は「学位工場」と呼ばれる表向きは学校を装い、内実、勉強せずとも学位を得ることができる機関もあり調査員は毎日様々な機関をチェックしに出向いているとも聞く。
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■ 実際、論文の素材や自分と似たようなテーマの論文を探し出すことはインターネットなら即座に可能だ。アメリカの高等教育でもそのことは一つの課題であり、そんな過程のもとに新しい「Information and Communication Technology(ICT)Literacy Assessment」なるテストも作られつつある。このテストはSAT®やTOEFL®やその他の多くのテストを作成しているETSと大学のコンソーシアムにより開発中のもので、要は「読み書きそろばん」のそろばんの代わりにインターネットIQを測ろうというものだ。
このトピックを取りあげた記事中には
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信頼できるオンライン情報を探し当て、その情報の裏付けを取ることができるかどうか、その材料の適切な使い方、クレジットの付け方を知っているかどうかを測定する。
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「大学に入学する際に、数学・英語のスキルと同じくらい重要なスキルを測る。このスキルを持たずに大学に入るのであれば、自分が教育を受けた人間なら持って当然と期待されるスキルを有していないことを知る必要がある」
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と書かれている。
つまり、大学に入学してくるまでに身につけていて当然な力として定義づけられている。そういう意味では、情報の検索力と著作権に関する正しい理解が重要視されてきてるのだろう。
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■ クラスを教える先生側も大変だ。今までは大学の図書館のある程度、質が保証された文献のなかから課題が出され、学生の側はそれをもとに必要な資料を探し出し成果物を提出してきた。だが、ネット上の広大なごちゃなべデータベースで情報はすばやく取得できるものの、その信頼性を裏づけるということが評価する側として必要とされてくるのだ。記事中の
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「技術と教育の問題は、新技術を既存のカリキュラム計画に中にどうはめ込むかだ。講義の時間を増やすことはできないし、これまでのやり方で授業を続ける方がずっと簡単だ」
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という言葉には重みを感じる。だが昔のように手間隙かけて得られるモノより、ツールを駆使して得られるモノの方が質量ともに大きい事実は無視できない。
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■ 最近、朝日新聞で「論文データの捏造や盗用、113学会で 学術会議調査」という記事を目にした。大学だけでなく、映画「ニュースの天才」に見るようなタイプの事件や記者による他記者の記事の盗用ということも聞くようになった。
そう考えると、ますますコンテンツのオリジナリティーは、自分がどれだけの体験(経験)をつんできたかというところに行きつくと考えられる。小田嶋さんはそれを
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自分の足で現場に行って、自分の目で現場を見て、自分のアタマで考えたネタ
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と表現したのだろう。
まったく、同じことがライティングにおいても言えるのかもしれない。要は自分の歩んできた道そのものが鏡となって、後々、反映してくる。新SAT®やNext Generation TOEFL®におけるライティングもスキルの部分はできて当然、でもそれ以上に必要となってくるのはそれを活かし彩る自分だけのコンテンツということになるのだろう。そしてそのコンテンツを満たすためには五感(あるいは六感?)とともに心身頭脳の全ての経験がライティングという形式において「Integrated skill(総合力)(※2)」として反映してくるのではないだろうか。
(※1)まずはアメリカでスタートし、日本ではまだ未定だが2006年以降実施されるのではないかと予想される。PBT、CBTに関してはiBTが完全実施となるまで継続が予定されている。
(※2)Integrated skillsを「統合された力」と直訳するのとニュアンスが違うので「総合力」とした。)
[参考記事・参考放送・参照URL]
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Yomiuri Weekly 2005 6 26 小田嶋隆のメディア評「ワイドシャッター」−テレビの取材力− より
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