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§6 マンガ×興味×読解力!? -- フィードバック from Finland --

by 岡部憲治
2005/05/30

■ 「マンガ」は避けて通れない話題だ。ホンマノオトでは「日本語は今静かなブーム」と書かれていたが、実際には10年前から世界中で静かなブームで今は「かなりブーム」だ(フィンランドも例外なく)。アメリカでは日本語と英語のバイリンガルの子供がクラスで尊敬のまなざしで見られるほどだ。一昨年にオーストラリアで友人となったアジア人4人組(香港、韓国、インドネシア、台湾)の16歳軍団もあたりまえのごとく日本語をある程度知っている(もちろんマンガ・アニメから)。

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■ 「日本語に対する興味」は実は世界の65%を占めるといわれる日本製アニメで十分、文化下地がで
きておりそのうえにマンガの流通が確立されたので世界中で湧き上がるに至っている。振り返ってみると、特に欧州ではアメリカ合衆国と違い早くから日本のマンガを輸入している経緯があり、時を同じくしてネットも向上的に進化したことにより伝達速度は早いものであった。そして「メディアを制するものは世界を制す」と評されるアメリカメディアにマンガが本格的に輸出されたことにより、世界の表舞台に「MANGA」が登場するに至ったわけだ。10年前にドラゴンボール(アニメ映画)はアメリカでは「アジアの奇妙奇天烈映画」の一つとして扱われていたことを考えればすごい進歩だ。かくしてグローバリゼーションの波にのせられたマンガは日本語熱の裾野を広げるのに一役買ったことになる。これがだいたい2、3年前だ。

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■ 時々、チャットをするが私が日本人とわかると当然、話題はマンガ・アニメ・ゲームといったいわゆるJ-POP(曲ではない)の流れになる。その時はアメリカ、フランス、香港、カナダからの面々であった。マンガの話題の時に言われたことは「いいよなぁ。原語で。あのニュアンスがわからんよなぁ。(フランス)」、「アジア人ならわかる。(香港)」とかやいのやいのととめどなく話していた。それが5年前くらいだろうか。

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■ バブルのはじける前に一時期、外国人の日本語熱ブームがあったがあれは完全に経済に起因していた。日本人の英語に対する習得熱も基本的には興味からよりも経済ベースであると考えられる(次は中国語だろうか?)。だが、この文化に対する興味からくる日本語熱は一度ハマッてしまうとそう簡単には抜け出せないかもしれない。

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■ フィンランドの書店でもマンガコーナーがあったわけだが、それは時間をかけて形成されたものがグローバリゼーションの波で商業ベースにのっかりマンガコーナーの設置という形で表れてきたのだろう。というのも、マンガコーナーのディスプレイの仕方がアメリカのバーンズ&ノーブルズやボーダーズとまったく同じだったのだ。ピーンときてしまった。つまり、そういうことだ。 

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■ 最近、コンテンツ産業でマンガ・アニメなどを盛り上げているせいもあるのか、何でもかんでも「アキバ文化・オタク文化」という言葉で「文化化」されているようだ。しかし、世界中で一定の人気があるマンガはその「文化」とはむしろ縁遠い気がする。だれがドラゴンボールやらんま1/2や名探偵コナンの関連グッズをアキバまで買いにいくだろうか。アニメイトやマンガの森や近所の本屋さん、おもちゃ屋さんでことは足りるのだ。もともと萌え系、美少女系、派生系が特徴的に捉えられており、正統なモノをアキバで謳歌しようなどという風潮はあまりないと個人的には感じる。外国で見かけるマンガの品揃えを見ているとアキバで目にするようなマンガ本よりむしろマンガ喫茶に置かれている一般的なマンガ本の方が圧倒的に多い(マンガ喫茶までアキバ文化・オタク文化と言われてしまえば何ともいえないが)。

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■ 少し話がずれてしまったがマンガとPISAで言うところの読解力(読解リテラシー)を考えてみるとどうだろう?
 私の場合、スキミングとしての情報誌や新聞は読むが読書としての本は皆無に等しい。だが、マンガは別だ。毎日、何かしらを読んでは(見ては)一人笑って周りからは不気味がられている。単純に「読みたい」という動機あるからだ。つまり、各々のマンガが持つ世界観と丹念なリサーチに裏打ちされた事実、創作力に「興味と好奇心」を抱くのだ。

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■ 以前は数千冊の単行本を買い込んでいたが今はせいぜい数百冊程度。単純にスペースの問題からだったのだが、月2回は行くマンガ喫茶のおかげで自分で抱え込むことから開放されたわけだ。言うなれば「ドリンク付インターネットし放題の極楽な図書館」に出向くわけだ(有料だが)。レンタルは出来なくてもその場である程度完結できて続きはまた今度。こんな習慣がついてしまった。(最近はレンタルビデオ屋さんでもマンガを貸しているところがあるので時々借りたりもしている。)

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■ 国の人口密度で比較すればフィンランドは平方キロあたり17人、日本は平方キロあたり336人だ。フィンランドの平均的一軒家のスペースが日本より広いことは確実だろう。ということは家に置ける書物数は相対的に日本より多いのではないだろうか。冬こもるような寒さであればなおさら外にも出ずに家に溜め込んだ本を読みふけることだろう。
 だが、もしそこにマンガがあった場合それと取って代わることはこれからの若い世代には考えられる。私の親の世代が小説・ノンフィクション・ジャーナル・文学集など様々な書物を家に取り揃えていたのを考えれば速度こそ違え、同様の道をたどっていく可能性もある。つまり、興味の方向性が今まで「本」に向いていたものがそれに代わるオルタナティブの出現により変わってくるのではないかということだ。

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■ 日本で発刊されているマンガも含めた週刊誌はどのくらいあるのだろう?他国と比べてもかなり上位にくるのではないだろうか。ニーズが細分化されてターゲットを絞った誌面作りがゆえに創刊・廃刊のサイクルも激しいことは確かだが、次々と趣向をこらして読者をとらえる雑誌文化は日本人に「次々と新しいものを眺める・見る・読む」という習慣を継続させているのではないだろうか。
 そういう意味では、規範の読書とは異なった読書文化を実は日本はもっている気がする。

◇ ◇ ◇

読書は想像力の世界
だと思う。
視覚から入る文字情報を脳内のバーチャル空間に臨場感豊かに映像・音声としてよみがえらせる能力。
そして
読書は創造力であり知の泉
だとも思う (love of wisdom ではない)。
視覚から入る文字情報を脳内の蓄積情報と融合させて新たな知を生み出す能力。
 上記の提起だけでなく人それぞれの見方があるだろう。ただ一つ言えるのは、個々のパーソナリティを尊重するのであれば、それに応じた読書の仕方・好きになり方というものがあるのではないだろうか。

◇ ◇ ◇

■ 読解力というものがトレーニング的要素が全てで物量的に多く読み、長年の積み重ねでしか成し得ないというのであれば、それは今までテレビが登場するまでの、マンガという媒体が市民権を得るまでの、加えてインターネットが日常になるまでの、慣習的学習方法に対するノスタルジーのように感じられる。  
 PISAで言うところの読解力(読解リテラシー)がどのようにしたら確実に上昇するのかは誰にもわからない。ただ一つだけ言えることは、子供たちが自発的に興味・好奇心を持ちそこから世界に通ずる何かを得ることができるのであれば、読解力(読解リテラシー)の向上に寄与することは間違いない。パッシブよりアクティブの方がストレス低下と脳内快感物質の促進につながり神経回路が発達するのであるから。それは既存の「読書」だけからとは限らない。テレビであれ、マンガであれ、インターネットであれ興味・好奇心をどこから見出すかの選択肢は多様だからだ。
 総じて、読解力(読解リテラシー)向上には自発的なアクティブプロセスが効果的であることは言うまでもなく、そこにはマンガも含めた

無限のオルタナティブラーニング

が横たわっているのだ。
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