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| 白梅学園清修2回目の入学式
〜 不易流行、文化再生のプログラム【2】 |
| 2007年4月10日 by 本間勇人 |
| ◆ 白梅学園清修の緻密かつダイナミックな文化再生産のプログラムとしての入学式の仕掛けは小松隆二理事長の≪言説≫の中にも見事にあった。
◆ 小松理事長は、一期生は実にがんばった、多くの新聞・雑誌に白梅学園清修の教育活動が取り上げられたのは一期生の努力の賜物であると褒め称えた。そして二期生に対しては、一期生をも揺るがす大きな夢を持ち、それを実現する地道な努力をして欲しいとエールを贈った。一期生、二期生が協力して伝統を作っていくことをビジョンとして伝えたのである。 ◆ そして、このビジョンを生徒たちが感じ入るようにと、歴史上それぞれ違う環境で活躍した女性のエピソードを紹介した。一人は津田梅子、もう一人は伊藤鶴代。津田梅子は、あまりにも有名な日本の女子教育のルーツを作った女性。8歳のときに岩倉具視使節団に同行してアメリカに渡った。一時帰国するが再び留学。紆余曲折はあるが、帰国後、今の津田塾の前身である「女子英学塾」を開設した。 ◆ 伊藤鶴代は、山形県の鶴岡に生まれた。津田梅子とはまた違う苦労の人生を歩んだ。18歳のころ、父が失明し、母も病床に臥せたのである。両親を看病しながら一家の柱となり、裁縫の腕で、弟・恭太郎を医学校に進める学資まで稼いだ。後にこの苦労と人徳が相まって、鶴岡裁縫塾を創立することとなった。現在でもその文化遺伝子は、山形県立鶴岡中央高等学校に継承されている。 ◆ 小松理事長は、2人の共通点として、希望と夢を大きく持ちつづけチャレンジしていく女性の姿を語った。自分しかできないことを見つけ、一歩一歩努力していく女性像を描いたのである。 ◆ だがしかし、ビジョンを生徒たちと共感しただけではない。おそらく津田梅子やその父津田仙は、白梅学園創設時なんらかのかかわりがあったはずで、津田梅子のミームを白梅学園清修も伝統として有しているということを伝えたかったのではないだろうか。伝統を作るということは、不易流行でもあるからだ。 ◆ そして伊藤鶴代縁の地、鶴岡市には、小松理事長が学長を務める東北公益文化大学が支援提携している慶應義塾大学先端生命科学研究所がある。ここでも白梅学園清修同様、古くて新しい精神が生まれている。 ◆ 2人のエピソードは、ビジョンとしての女性像であると同時に、その生き様が白梅学園の文化再生産システムそのものだったのである。また、共立薬科大学の例もある。全くの憶測であるが、将来白梅学園と慶應のなんらかの連携が生まれる可能性もあることをほのめかしていたのかもしれない。 |
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