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| 白梅学園清修2回目の入学式
〜 不易流行、文化再生のプログラム【1】 |
| 2007年4月9日 by 本間勇人 |
| ◆ 4月8日、日本列島は統一地方選。その日、世界は仏陀誕生を祝い、キリストの復活を祝った。そして白梅学園清修は、二期生のための入学式を行った。入学式というと定型化し、たんなる儀式のように受け留められるかもしれないが、白梅学園清修の入学式は、昨年の一期生を迎えるときとはまた違う課題をクリアするプログラムが組み立てられていた。
◆ 昨年は新しい伝統を創り出すことに傾注すればよかったが、今年は、さらに一歩進めなければならない。伝統が染み渡る教育活動を創出するという課題に。つまり不易流行プログラム、あるいは文化再生のプログラムの構築。果たしてどのようなプログラムなのかと興味津々であったが、見事に完璧な「ジョハリの窓」プログラムで、すべては「ロゴス(言説)」のやり取りで厳かに行われた。 ◆ 「ジョハリの窓」はお互いに情報をオープンにし、共有し、共感し、感動し、アイデンティティを広げていくプログラムである。一期生と二期生、保護者と教師、理事長と校長、経営陣と校長・・・。これらすべてが互いの白梅学園清修の本質、ミッションを語り、自らの夢と相手の夢の共通点と相違点をはっきりさせる。そのうえで、互いに助け合いながら議論しながら、新しい「伝統」を形成していく。まずはオープンな関係そして信頼関係を結ぶところから始まったわけである。 ◆ 一期生代表が、「学校作りの仲間を迎え入れられてうれしい。いっしょに学園生活を送っていくことが新しい伝統を作ることになります。いっしょに盛り上げていきましょう。そしてわからないことがあればいつでも相談してください。」と語れば、二期生代表は「学校説明会に訪れたとき、先輩たちの魅力的な存在を見て、白梅学園清修が憧れの学校になりました。一期生の先輩たちのように二期生も伝統を作っていきますが、壁にぶつかったときは、どうか先輩たち助けてください。」と応える。そして互いに具体的に白梅学園清修の教育活動のよさや期待している点をプレゼンしていた。 ◆ 保護者代表の言葉も興味深かった。昨年の代表と同じように、白梅学園清修の教育活動の魅力を高々と謳いあげた。そこまでは同じだが、昨年の保護者代表は、ぜひこの魅力を本当に実践して欲しいと教師にお願いをするにとどまった(当然であるまだ教育活動は生まれていなかったのだから)が、今年の保護者代表は、一年間で本当に実践してきたというのが良く伝わってきたので、ぜひ一期生にかけた先生方の熱き思いを、二期生にもお願いしますと一歩進めたところは良い意味で違いが見えた。 ◆ それに対して、学校側は、教師の布陣を披露した。昨年の担任2人を、それぞれ一期生、二期生の学年の責任者にし、担任をすべて新しくした。昨年一年間の文化再生を持続可能にするためと、新人の先生方による新しい発想を受け入れるのが目的だろう。二期生の担任が変更することに対し、在校生は不安にならないのだろうか。それは大丈夫なのである。 ◆ もともと生徒にとって、教師は担任も、専任も、講師もそんな区別はない。なぜなら教師は一丸となって、生徒1人ひとりと対話するし、共同で生徒の成長について話し合う姿を、毎日生徒たちは見ているからだ。いわゆる「職員室」はオープンで、エンカウンタースペースになっている。あらゆる角度からあらゆる教師が生徒とかかわれるような仕組みになっている。Teachers for allなのである。 ◆ そしてもう1つおもしろかったのは、秋田校長の教師紹介である。入学式が終わってから紹介するという演出だったので、かなりくだけていた。というより学歴を紹介するには少し柔らかい方がよかったのだろう。先生方の学歴をさりげなく発表していた。 ◆ 出身大学は極めて優秀で、なるほどと思ったが、そこにあまり意味はなかった。出身中高を紹介していたところにポイントがあった。いかに私立出身であるか、公立高校でもいかに名門高校出身であるかが伝わってきたのである。よく新卒の先生に担任が務まるのだろうかという議論を耳にするが、秋田校長にとってそれは関係ない。ベテラン教師だろうが新卒教師だろうが、教師の質の差は経験だけでは決められない。 ◆ 学校の教師は学校全体の文化再生の身体化の前提がなければ、うまくいかないということを秋田校長は知っているのである。名門校のハビトゥスというファンダメンタルな知を体現している教師であれば、テクニカルな知はあとからなんとでもなる。しかし、テクニカルな専門知にいかに長けていても、ファンダメンタルな知がなければ、学校文化の再生産プログラムを構築することはできない。厳かな式典と笑いの式典。白梅学園清修の教育プログラムは実に緻密かつダイナミックである。 |
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