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学校探し(65)〜「聖徳学園論」を探究しよう
2005年9月1日
by 本間勇人(honma@netty.ne.jp)

■ ICUをはじめとする多くの大学がある学園都市武蔵境の駅から徒歩5分、そこに世界の中でも"本格的"共学教育の可能性に満ちた中等教育の空間がある。それは聖徳学園。"本格的"とはどういうことかというと、6年間一貫のカリキュラムというよりシラバスが、生徒の知の構造モデルに基づいて構築されているということである。

■ いったいこれが何だと思うかもしれない。それはそうだろう。なんていったって、日本の中等教育システムの20年先を既に構築しているからだ。同学園は、一般の共学校(私立公立も含めて)が2025年になったときにやっと実行するはずの教育実践を既に歩んでいる。だからいくら見学してもその先進性に気づかない。

■ 聖徳学園は学力向上フロンティア校に認定されているし、フルブライトのプログラムにも参加している。先進的教育コミュニティに参加しているわけだから、毎年見学者も山のようにいる。しかし、いくら聖徳学園の授業風景を見学しても、研修に参加しても、すごいと感嘆しはするが、20年先の姿だと気づく人はどれくらいいるだろうか。これは見学者たちの能力の問題ではない。ドメスティックなフィルターが、グローバルな聖徳学園の先進性を受け入れることができない。教育のベルリンの壁が立ちはだかっているからである。

■ ギルフォード博士による知の構造モデルの探究は、聖徳学園では、最新の心理学や脳科学の成果、社会学的な学習背景の情報を取り込みながら、さらに進化している。この進化は、東大の小宮山総長流の言い方をすれば、「知識の構造化」とこれを活性化する「自律分散協調系」の組織作りの可能性を示唆している。また脳科学の視角は、男子と女子の脳の違いを明確にし、その違いから出発しながらある1つの大きな目標、たとえばman for othersのような目標を共有できる。これによって初めて男子も女子も同じように社会進出を果たせる。

■ 一般の共学校は、生徒獲得というマーケティングの初歩的な理屈から成り立っている場合が多いし、男子と女子がともにいることが自然な姿だという独善的なというよりも男性原理的な発想で営まれている場合が多い。違いを無視して平等に扱うことが公平だという考え方だが、違いを認めていかに配分的正義を考えるかという実質的な公平性を考えている共学校は少ない。

■ 聖徳学園が"本格的"共学校であるというのはそういう意味においてなのである。さて、知の構造に話は戻るが、知の構造の探究は、生徒たちの情報や知識のインプット以降の思考過程や編集過程、発想の転換過程の仮説を立てながらシラバスを構築できるということ。プロセスが明らかになるということは、プロセスのあとのアウトプットの見通しが立つということを意味する。

■ 何を当たり前のことを言っているのかと思うかもしれないが、それは日本の教育現場を無視した思い込みである。日本の初等・中等教育のほとんどが、知識をインプットしたらそれが記憶されているかどうかチェックテストをするだけである。チェックテストの得点がアウトプットなのである。基本的には受験における一般入試というのもこのチェックテストの構造と変わらない(もちろん中学入試や大学の論文試験、AO入試は良い意味でその例外が多いが)。思考過程も表現編集過程も発想の展開もチェックされない。子どもたちの思いや考え、発想というアウトプットから逆算して、そこに至る過程を強烈に想像してシラバスを構築するという作業は、ほとんどされていない。

■ だから「詰め込み教育」という名称があるのである。インプットされたあとの知の構造はブラックボックスというわけである。聖徳学園がいかに先進的で"本格的"共学校であるか。これはこと聖徳学園だけの問題ではない。89年のベルリンの壁の崩壊が示唆するパラダイム・シフトの大事な1つのビジョンはTolerance(寛容)である。差別を被ってきた人々をどのように受け入れる社会を都市を創造していくか。これが重要である。その差別を被ってきた人の中に子どもや女性もいる。日本ではやっとそこに目が向くようになったがまだまだ発展途上である。

■ そこにチャレンジしているのが聖徳学園であり、意識しようとしまいと聖徳学園のビジョンはそのパラダイム・シフトのベクトルと響き合ってしまっている。だから聖徳学園は論として広くReflectionされねばならない。「聖徳学園論」としてあるいは「メタ聖徳学園」として探究されることが、他校にとっても新しい共学校のモデルとして貢献するだろうし、何より日本の教育がグローバル・ベーシスを取り込む契機になるだろう。

■ 東京大学や千葉大学は「京北学園論」を探究しているが、それは男子校のあるべき姿を追究する意味ある行為である。同じように「聖徳学園論」を探究する高等教育機関はないものだろうか。クオリティー・スクール、エクセレント・スクールとしての共学校は首都圏に20校ほどあるが、20年先行して教育実践をしている、あるいは可能性がある学校と絞っていくと5校あるかないかであり、その中でフロントランナーはどこかといえば聖徳学園ということになるのである。



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