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中村学園を通して女子私立中高一貫校を考える(3)
2005年3月30日
by 本間勇人(honma@netty.ne.jp)

◆ 中村学園は、スモールサイズの女子校である。そのため大学実績の成果が目立たないが、立派な結果がでているのである。今年の春の結果は、2005年3月9日現在のものを紹介すると、筑波大(1)、埼玉大学(1)、横浜市立大学(1)、慶応(3)、早稲田(2)、上智(1)、ICU(1)、立教(1)、中央(6)、明治(3)、青山(1)、法政(6)、東京理科大(3)、津田塾(1)、東京女子大(5)、学習院(1)などなど実によい結果だ。上記の学校は卒業生数の30%を超えている。

◆ 上記の大学でなければどうだというわけでは全くないが、世間の評価をしかたなく活用すると、この類の大学に30%以上入っていれば、大学進路ということに関してはまずは安心ということだろう。

◆ 当の中村学園自体は、教育のプロセスの結果であって、このような実績がでるのは必然であると考えているはずだ。東大に行きたいという生徒がでてきたら、それはそれで大いに支援する特注のプログラムをつくるだろう。

◆ 現にハーバードやスタンフォード、UCLAなどに行き、もっと世界的な視野で日本を見てみたい、グローバルなボランティア活動をしてみたいという生徒には、10ヶ月の留学体験をするコースを創っている。その結果、今年の1月にはTOEFLのスコアでCBT263(PBT627)を獲得する生徒まで出てしまう。CBT250(PBT600)が、ハーバード大学が要求しているスコア。はるかに超えているではないか。

◆ もちろん、これだけでアメリカのグローバルランキング100位以内の大学(東大は100位以下)に入れるわけではない。表現力が必要だし、特にストーリーテラーというリーダーシップは重要だ。しかしこれは中村学園の教育の面目躍如と言ったところだろう。

◆ フェニックスホールという一見贅沢だが、アメリカのプレップスクールでは当たり前というような立派な生徒のための表現舞台が用意されている。そこで演劇や演奏をプロデュースする生徒たち。聴衆に感動をいかに伝えるのか、その戦略を演出し、拍手喝采を浴びる。この体験が表現力を養うのは言うまでもない。

◆ また毎日中学生新聞に何人もの中村学園の生徒は連載コーナーを持っている。論文集や作文集を作る学校は多々あるが、こういう公共性のあるメディアを活用するという学校はそうはない。この活動について、どんな意味があるのか感じないとしたら、それは日本の公立教育に浸っている証拠である。内輪で誉めあっても何も意味がないのに、そういうことがあらゆるところで行われている。そこには公共性ではなく、村意識しか育たない。それも地域への貢献に結びつくのなら文句はないのだが。ともあれ、アメリカの教育では最終的には公でプレゼンする仕掛けを作るし、文章は書籍という形で世にでるようなプログラムになっている。

◆ 表現は独り善がりではなく、公共性がなければならない。これが表現の倫理である。上手い下手ではないのだ。大事なことは表現倫理を学ぶことである。だから自分の表現は売れなければその公共性の証明ができないのである。表現の倫理を教えない日本の公立教育は、結局市場の倫理を伝えきることができない。倫理と乖離した市場の原理を流行りだからと教えるか、お金は汚いと教えるかどちらかになる。お金は神様でも悪魔でもない。公共性の共通ルール(コード)に過ぎない。そのことを実感するには、表現は公共に開かれていなければ意味がないのである。

◆ ところで、このことをなぜ中村学園は知っているのだろうか。これは中村学園の明治にまで遡る歴史を紐解かねばならない。時代とともに呼吸し、それを教育の息吹に変えてきた中村学園の魂。それに触れることのできる人は、もしかしたら中村学園の今の先生方の中でも数人いるかいないかではないだろうか。それでも同学園の魂は今でも強く響いている。その魂の秘密は知られないけれど、先生方は過去に向かうのではなく、未来に向かって歴史を紐解いている。息吹は過去のものではなく明日に向かって吹いている。中村学園の真骨頂はそういうところにあるのだろう。



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