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学校探し(49)〜女子聖学院の質
2005年3月25日
by 本間勇人(honma@netty.ne.jp)

◆ 女子聖学院(以降「女子聖」)の教育の質は、下記≪クオリア・スコア≫グラフからも明らかなように、実に良質である。読書指導、討論指導、体験学習、実験学習、芸術教育、宗教教育、言語教育が総合的に結びついていて、教育の循環構造が巧まれている。この教育のエコロジーに学習空間と庭園空間、宗教空間が結びついているので、豊かな人間形成の場としては最適なのである。

◆ ディベート大会や演劇などで数多く賞を受賞しているところからもその質の高さは明らかであるが、登下校の中の教育にもその一端が現れている。女子聖学院は、聖学院(男子校)と聖学院小学校が隣接している。そのため最寄の駅駒込と学校間の登下校のときは、毎日約3000人の小中高生が移動する。

◆ 商店街という狭い道幅を大勢の生徒が行き交うのであるからそれは大変であろう。あるとき地域住民からその行き交う際のマナーについてクレイムを寄せられたときがあったそうだ。

◆ 小倉校長先生は、朝の礼拝でそれを取りあがられたそうである。まずこの礼拝であるが、毎朝行われていることと、そこで校長先生が話される内容が、実に大事な教育活動になっている。聖書と日常の出来事とそれに関連する本の紹介という三位一体になっていて、生徒たちの心と知を揺さぶるプログラムになっている。

◆ 今回のクレイムについても、聖書の「注意して歩きなさい」という一節を引用して語ったそうである。すると生徒会のメンバーがボランタリーな活動を開始したそうだ。登下校時、道々に立って、注意を促したそうである。この生徒会のメンバーは、勉強の面でもなかなかのもので、人間のバランスがとれているということだ。彼女たちの行動を、校長先生はサーバント・リーダーシップと呼ぶ。これは女子聖のリーダー論の特徴だ。

◆ さて、こういうボランティア活動はそのままにしておくと、うまくいかなくなる。そのことを見通されている女子聖の先生方の教育力がすごい。どんなに優秀なメンバーも人生経験が豊かではない。どこかで孤立感や喪失感を感じるときがくる。そうなる前に、教師と生徒会のメンバーが強いミッションを共有するコミュニケーションをとるチャンスを作る必要があるという。

◆ これはたんなる気配りの問題ではない。ストレス・マネジメントやケア・サポート、スクール・カウンセリングというプログラムの1つで、アメリカ・プロテスタントの教育の良質部分を受け継いでいると感銘を受けた。

◆ このようなコミュニケーションの場は、空間として随所に設けられている。丸い机がその象徴で、そこで校長先生と生徒たちがランチをとりながらコミュニケーションするときもある。チャペルも円く、その空間は平等と上昇という心的構造を形づくる。ミッションを共有する空間でもある。

◆ サーバント・リーダーシップというやさしい気持と強い行動力、そして犠牲心。互いに理解しあう仲間と強い信念がなければ続かない。しかし、それを見事に持続可能なものとする女子聖の教育。その1つの根拠は、朝の礼拝。聖書の言葉には力がある。また校長先生が紹介する本の言葉も魅力的だ。その1つである大江健三郎のエッセイで引用された聖書の箇所もインパクトがある。「キリストご自身こそ、わたしたちの平和であり、互いに離れていた二つのものを一つにしたかたです。キリストは、ご自分の体によって、人を隔てていた壁、すなわち、敵意を取り除き、かずかずの規定を伴うおきてから成る律法を無効にし、二つのものをご自分に結びつけらることによって、『新しい人』に造りあげ、平和を実現しました。」この「新しい人」こそサーバント・リーダーのプロットタイプなのではないだろうか。



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