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2004年11月9日 |
| ■ 麻布の22回目の新しい『論集』。発行時より担当してきた氷上先生が校長に就任して初めての『論集』らしい。第1回目は、1981年に発行されているが、そのとき以来、「『論集』の刊行にあたって」という文章が掲載されている。もしかしたら、この文章は、当時の氷上先生が書かれたのかもしれない。
■ この文章は、麻布という学校をうまくまとめている。麻布は自由な学校である。自由という文脈は、自由な発想によって創意工夫された授業が培ってきた校風であり、自由な表現の場そのものが麻布であるということだ。そしてその結晶体が、相互に刺激、批判し合い、自己を高めてゆく場であるこの『論集』なのである。 ■ 「青春期には誰でも訳のわからぬ、突き上げてくるような盛んな表現欲をもつ。大事なことは、自分の中でもやもやしている何かを、漠然とした感触を、すなわち心の渾沌を形にすること、実際に表現してみることだ。たとえ未熟であっても、自分自身に向き合うこと自体が尊い。人はさまざまな試みの中で自分を発見してゆくのである。他人からの批判を恐れてはならない。むしろ他者の眼に晒されることが貴重な体験となる」 ■ まるでニーチェの「ツァラトウストラはかく語りき」でも読んでいるかのようであるが、「たとえ未熟であっても」考えることが大事であり、すぐにまとめてしまうのではなく迷いの持続が重要なのだというのは麻布らしさのように思える。 ■ 『論集』に掲載されている「家族のための食事作り」の中で、ある生徒がこんな感想を書いている。「料理には技術・スピードとともに体力が要求されることを実感し、料理の『知的』かつ『スポーツ的』で、ハードな側面も知った。これだけの作業を毎日平然と行う母の底力を知った」と、ユーモアあるコメントだが、そこには重要な視点がある。 ■ 22回目の『論集』を読んでいくと、近代への批判が通奏低音として響いているのに気づく。家事の捉え返しもそこに通じるだろう。「アルベール・カミュ『ペスト』におけるペストの発生意義」という中3の論文、「『こころ』における人間の絶対的孤独性について」」という高2の小論文などは明らかにそうなのだが、このような視点が食事作りにも反映しているところが実におもしろい。 ■ 中3の「漢方医への道」という論文は、34年前に麻布を卒業した先輩のダイナミックな――新聞記者から医者に転身した――人生をインタビューしてまとめあげているが、この先輩がたいへんよい。インタビューに応えるだけではなく、インタビューの仕方から人生についてまで丁寧に示唆しているからである。「聞こうと思ったことが、そのまま聞けたというだけでは、自分の頭の中の世界から出ていないのだ。聞こうと思ったのと違うことが聞けた時こそ面白いのだ。…まとめながら苦しんでみて」「将来やりたいことをはっきりさせるのが、このレポートのねらいだろうが、別にまとまらなくてもいい。考えて悩むことは必要だし、大事だが、答えをだすことよりも、迷うことのほうがもっとも大事である」 ■ そしてそのOBは中高時代を振り返ってこう言った。「本を読まない奴はバカにされた、社会で起こっていることに無関心な奴はバカにされた、与えられた勉強しかしていない奴はバカにされた」と。 ■ 『論集』が刊行される前から、やはり麻布は麻布であったのだが、いずれにしてもそのことがわかるのもこの書を読むことによってである。岩波の「世界」を読むよりはるかに難解だが、おもしろい発想の『世界』が展開しているのは間違いない。
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