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教育の大転換(78)〜 郁文館は軽チャー・ショックを超えられるか

2003年12月4日
by 本間勇人(honma@netty.ne.jp)


■ 一般的に景気が悪いどうしようという不安感を煽るトーンが、マスコミから消えつつある。あらゆる会社や自治体の財務内容が不安定もしくはそれ以下であれば、それは不景気や不況というのではなく、崩壊と呼ぶだろう。しかし、勝ち組みと負け組みに分かれるからこそ、負け組みの巻き返しの環境が出来上がるかどうかで、景気回復の見込みが予測できる。だから、どこが勝ち組みで、どこがそうでないかを冷静に評価するトーンがマスコミの間で生まれてきているようだ。もっとも、タクシーに乗ると、必ず悲観的感情的不景気論がとうとうと語られ、それはそれでお上が悪いと、ストレスを解消できるのかもしれない。

■ とにかく、アメリカ・モードでは、WIN・WINの関係が大事らしいから、勝ち組みが多くなればよいのだろう。しかし、それは一国の驕りにすぎず、もし日本のあらゆる会社や自治体がみんな勝ち組みになってしまったら、必ずどこかの国にそのしわ寄せが行くわけだから、WIN・WINなどというコンサルタントの言説は、おかしな話であると少し考えればわかるはずだ。

■ そういうおかしな点を議論できないコンサルタントが勝ち組みの条件をいろいろ挙げる。たとえば、(1)勝ち組み企業は堅実である。(2)勝ち組み企業には主義がある。(3)勝ち組み企業にはブランド力がある。(4)勝ち組み企業は変幻自在だ。(5)勝ち組み企業はPRがうまい。(6)勝ち組み企業は明るい。(7)勝ち組み企業は社会的責任を果たしている、などなど。

■ もっとも、この条件に従えば、日本の未来はオウオウオウオウといった「軽チャー」という表現に相当するような動きでは、どうも勝ち組みには入れなさそうである。実に真剣で重たい。

■ ところで、ワタミフードサービスという会社は勝ち組みなのだが、これらの条件を満たしているのだろうか。経済評論家・島野清志氏は「知的な産業であるはずのITベンチャーから落語に出てくる若旦那や与太郎のような社長が次々に出てくるのに対して、飲食チェーンから地に足が着いたタイプが出るのも虚実の境目があやふやになった時代を映しているかもしれない」と一定の評価を与えている。

■ 財務内容も自己資本率も文句ないそうである。このワタミの経営者は渡辺美樹氏。今年学校法人の郁文館学園の理事長に就任した。生徒獲得戦略を巧みに考え実践しないと、勝ち組みに入れないのは私立学校も同じ。上記の勝ち組みになるための条件は、確かに私立学校にも当てはまる。勝ち組み企業の若手経営者の理事長就任に、世の中の期待感は大いに高まっているのだ。

■ しかも、上記の条件は、世の「軽チャー」を吹っ飛ばす状況を作る。まじめな私立学校に多くの生徒が集まってくるに違いない。これはまあよいことではあるかもしれない。

■ ただし、上記条件には、おかしな点がある。「勝ち組み」という発想の持ち主に「社会的責任」の発想はないだろう。日本の多くの官僚に見られる「農村共同社会的責任」というのなら当たっているだろうが。また、「勝ち組み企業に主義がある」というがその「主義」の信頼性、正当性、妥当性に対するアクレディテーションをデモクラティックに判断する機関がない。それに準ずる機関は、株式市場や商品市場である。市場に倫理を持ち込まないのが日本の経済構造である。官僚的規制は大いに投入するが。倫理なき市場において、官僚的規制が緩和されようとしているから、世の中大変であるのだが。

■ 「勝ち組み企業はPRがうまい」という条件も、恐ろしい。PRの手法の差など、もはや技術的にはないはずだ。お金を出すか出さないかの差だけである。いわゆる「負け組み」はこの手法にお金をかけられない。そうすると「負け組み」を出するのは難しい。しかし、実際にはそんなことはない。上記のような条件システムの呪縛から解脱さえすればよいのである。

■ 「勝ち組みの条件」はどうも「農村共同体的システム」の形を変えた復興条件のような気がしてならない。それに勝ち負けのシステムは、文明の衝突を回避できない。行き過ぎたまじめさは、必ずコンフリクトを生み出す。「軽チャー」という遊びは逆に必要なのである。

■ 「軽チャー」を排する勝ち組み条件に準拠した若手経営者が、同じような手法で、郁文館を運営していくのだろうか。それはそれでよい。しかし郁文館に対するアクレディテーションは、経済市場が判断するわけではない。21世紀の人間像をなんとか捉えたいと考えている市民が判断する。居酒屋の存在を21世紀の人間像の脱構築を議論する公共の場にしようという方法も確かにある。若手経営者が、教育の主義と会社の主義をどのように統合するのか、やはり大いに気になるところである。



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