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インターネットから学校選択を考える-雙葉サイト

2002年2月5日
by 本間勇人(honma@netty.ne.jp)


■ 雙葉のホームページはある意味おもしろい。パンフレットと変わらないページだが、ボランティア活動がほんの少しではあるが丁寧に公開されているし、一方では新築校舎の写真ががんがん載せられている。つまりこれほど不易流行のコントラストがはっきりしているサイトもない。

■ 雙葉の伝統は、ボランティアの精神にこそある。そしてその精神を優しくつつむような校舎。しかし、ノアの箱舟のようなイメージも思い浮かぶ。雙葉ワールドの象徴のような校舎の外観。実に戸惑う。精神性や深みがホームページからは感じられないような気がするからだ。ボランティアといっても、雙葉ワールドの中での限られた奉仕のような気がしてくる。聖母マリアはどういう気持ちでいるのだろうか。

■ 宗教色を色濃く出すと、生徒募集に響くのでそうしているのだろうか。もちろん、雙葉学園の本質はそうではない。かつてたくましく心優しい私の教え子たちが選択して通った学園である。少なくとも入試問題からは教師陣の見識や心の温かさが見え隠れする。そこを信じて私も大いに同校にチャレンジした子どもたちを応援した。しかし、ホームページの表現も雙葉学園自身の表現である。どこかに冷たい心閉じたところがあるのかもしれないと感じてしまうのは私だけだろうか。

■ 新校舎のページも、写真だけからでは到底カトリック的な精神性が満ちているとは思われない。聖堂や講堂は別であるが。それとも外発的なものはすべて捨てて、内発的な精神のみを重要視しているというのか。たしかに、外的な要素を完全に軽視し、内面の魂の探求に徹する態度こそキリスト教的精神である。もっとも、すべては神の計画で、現世のことなど知る由もない。雙葉にとって、現世は同窓生がなんとかするのだから、学園当局は、世に背を向けてひたすら神の国の到来を祈っているのかもしれないということも考えられる。

■ 少なくともホームページの表現において、ロゴスを表現する努力が見受けられない。ロゴスは光だし、神そのものであるはずだ。現世の言葉に神をみない二元論だとしたら、神学上問題なのではないだろうか。雙葉学園の経営者は、キリスト教的精神を基礎としたボランティアを大事にしている限り、自らが本当にキリスト教の精神を大事にし、布教しようとしているのか問い返してみる必要があるだろう。ましてカトリックとは普遍という意味ではないのか。

■ ルカによる福音に「権力あるものを王座から引きおろし、卑しいものを引き上げ、飢えているものを良いもので飽かせ、富んでいるものを空腹のまま帰らせなさいます」とある。マタイによる福音には「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」とある。

■ それとも雙葉のシスターは「多くの預言者や義人は、あなたがたの見ていることを見ようと熱心に願ったが、見ることができず、またあなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである」というマタイによる福音を持ち出し、門外漢にはどうせわからないでしょうとあきらめているのであろうか。

■ あるいはコリント人への第一の手紙にあるように耐えているのであろうか。「愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」というのであろうか。かくして雙葉のサイトは、見る側にいろいろなことを考えさせる。一度雙葉学園の教育の真理に耳を傾けられる機会を頂きたいものである。あるいは心ある同窓生に働きかけて、本来の雙葉学園らしさを表現するサイトを構築してはいかがだろうか。

サイトから得たい情報・情報の新鮮さ・情報の正当性 雙葉
[1]生徒の自己実現ぶり
[2]教員の柔軟性
[3]生活文化対応度
[4]大学改革対応度
[5]論文編集
[6]授業の中身
[7]英語活用度
[8]IT活用度
[9]教育空間の意図 ★★
[10]進路実績の公開度 ★★
[11]生徒募集戦略 ★★
[12]同窓生の活動
[13]更新度
[14]双方向性
[15]教育理念の浸透度


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