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開成 -近代をいかにつくるかを考える若き心が育つ私学

2002年1月10日
by 本間勇人(honma@netty.ne.jp)


■ 麻布では、生徒たちは、どういう自由をどうやって獲得するかという視点から人間の存在を考え自己を形成していく。一方、開成では、近代をいかにつくれば、国家と個人の関係をうまく調和させていくことができるのかという視点から人間というものにアプローチし、自己を形成していく。一般に麻布については、なんとなくそういうものかという気を抱いている人が多いだろうが、開成に関しては、「東大」、「官僚」というキーワードがすぐに浮かぶも、国家と個人の矛盾を解決するために近代をどうとらえるかなどを考える生徒が育つなどということに結びつく人は少ないだろう。

■ 現代の日本人は、自由については、その概念をどこまで根本までたどって考えているかはともかく、頻繁に意識に上ってくるが、近代の矛盾ということについてはほとんど自覚がない。まさか開成に近代を問い返し、新しいビジョンを考えようとする人間が育成される土壌があるなどとは思いもよらないことであろう。

■ ところが、開成は近代をいかに作っていくか、明治政府が推し進めた官僚主導の近代化路線とは違う近代化の道をなんとか構築しようとした人材が数多く輩出された。というよりその中心人物そのものが輩出されたほどの知の歴史を持っているのである。

■ そして、現在の開成自身がそれを自覚している。すでにベルリンの壁は崩壊し、冷戦も終了し、日本のバブル経済も瓦解し、IPCCによる温暖化防止の影響が大きくなって、近代のゆがみがマスメディアを通して全世界に流れ出ていた1991年、開成は創立120周年を迎えた。この近代の問い返しが、東大の入試問題でも毎年のように取り扱われるような時代に、開成は120年という歴史を迎えたわけである。

■ 120周年を記念すべき事業として、開成は、学園の歴史をより正しく伝えるために、『校史編纂委員会』を設け、常時、学園の資料の保存や発掘を行った。この事業に対し、当時の校長熊谷百三先生は、次のような意義を語られた。「こうして集められた学園の資料は、単に1私学の所有物として価値を持つばかりでなく、明治以降の日本近代史の一側面を伝える資料として価値を持つ・・・。それらの中、日本の近代史の資料の1ページを飾るものとして、明治28年に創刊、昭和19年に終刊となった『校友会雑誌』120冊が挙げられる。この『校友会雑誌』は、校史編纂委員の努力によって、ほぼ全冊そろえられているが、これらは、日本の近代史を生きた青少年の思想や行動が知られるという点で、誠に興味深い貴重な資料と言いうるのではあるまいか。」

■ そこで、創立120周年の記念刊行物として「校友会雑誌」の抄が「若き心」として刊行されたのである。熊谷校長先生はこの「若き心」についてはこう語られた。「『校友会雑誌』に載せられた生徒の論文や詩歌、その他さまざまの文章を読み返してみると、時代を超えた普遍性に満ちたものが多い」と。

■ つまり、この時代を超えた普遍性こそ開成が目指しているものであり、1私学としての開成ではなく、近代を普遍的に生きる開成の真骨頂なのである。この「若き心」に掲載されている文章を書いた開成OBの名前を見て、なるほど近代をどういう方向にもっていこうか活躍した人ばかりだと驚いた。特筆すべき人物を列挙してみよう。日本の新しい法学の基礎を作った末弘厳太郎、その偉大な弟子平野義太郎、あの斎藤茂吉が開成で学んでいたのである。

■ しかし、さらにおもしろいのは、町村金五、戸坂潤、田中美知太郎の論説が掲載されていることである。町村、戸坂は同級生。田中はその2年下である。この3人は近代のあり方が複数あることを体現した人物である。日本近代の矛盾の解決をそれぞれ全く別々の方法で歩んだ人物であるが、その芽がすでに開成時代にはっきりと育っていたことがわかるのである。

■ これが熊谷校長の言う普遍性なのだ。近代の問い返しをし続けるのが開成の伝統ということになる。もちろん、町村の考えが普遍だというのではない。戸坂や田中の考えが普遍だというのではない。少なくとも近代という道は一つではなく、常に問い返していくものであるという意味で普遍的なのである。

■ 明治から2つの世界大戦にいたるまで、日本のビジョンを引っ張っていた集団のうち大きなものに「京都学派」がある。西田幾多郎と田辺元の2つの中心が創っていたグループである。おもしろいことに彼らは東大出身なのだ。これは何を意味するのだろう。実は、日本の近代学問や教育において重要な意味がここには横たわっている。当時の東大はケーベル博士のような外国人学者が力を持っていた。彼らの日本における学問の使命は、西欧の学問をギリシアの時代から正確に深く伝えることであった。それに反して「京都学派」は、西欧の学問を速やかに吸収し、日本流の学問を形成することを第一と考えた。上智から京大に移った田中美知太郎は、「京都学派」と接しながらも、一人孤高にギリシア語の力を磨き、西田たちの哲学を我流とみなして、ひたすらギリシア哲学に没頭した。したがって、田中美知太郎が脚光を浴びるのは、「京都学派」が第2次世界大戦の流れの中で衰退した後である。

■ 戦後の教育は、田中美知太郎の路線が主流になったわけである。しかし、大事なことはこの路線が唯一近代の枠組みではなかったということである。町村金五は北海道知事になる前に、警視総監をやっていたときがある。戸坂潤が「京都学派」からマルクス主義に移行した後、治安維持法違反に問われ投獄された。その時の警視総監が開成時代同級生であったあの町村金五である。開成時代、町村は「校友会雑誌」の論説で、キリストは人間だが、天皇は神である。皇室中心主義の近代国家を建設して世界を制覇する覚悟を語っていた。後の官僚主導の近代化推進者の種がすでにそこにあったのである。これも近代の捉え方の一つである。田中美知太郎とは全く違う。一方、戸坂潤は同雑誌で国家というものは戦争を引き起こさざるを得ないという国家進化論を堂々と唱えていた。このときは、一見日本の戦争を正当化する論理だと町村金五には思えたのかもしれない。しかし、それは戸坂が大学教授になったとき、だから国家は死滅すべきなのだというマルクス主義に結びついてしてしまった。これも近代の枠組みの捉え方の一つである。同雑誌には、キリスト教民主主義を唱える生徒もいた。近代をさまざまな角度から捉え返していたのが当時の開成学園の学生たちだったのである。

■ それを開成の目指す普遍性であるという証のために、「若き心」は編まれたのであろう。そして今、この普遍性をたどる力が再び世の中で動き始めている。爆笑問題の太田が推薦する図書に、田辺元の思想を扱った中沢新一の「フィロソフィア・ヤポニカ」という著書がある。田辺元が西田幾多郎とともに西欧哲学を越える独自の日本流哲学を構築する過程が鮮やかにまとめられている書だ。日本の哲学者といえば西田幾多郎であり、その主著は岩波文庫で入手できる。しかし田辺元の主著は古本屋か図書館で借りる以外なく、市販されていない。西田幾多郎の弟子というより、パートナーであったにもかかわらず。その田辺に光が注がれようとしているのはなぜだろう。

■ 田辺元はもともと数学を志していたが、哲学に転向した。彼の哲学には、カントールやゲーデルの数学的世界観も融合していると中沢新一は書いている。浄土真宗の影響も受けている。ギリシア哲学も包含している。それらをカントやヘーゲルの考え方を梃子にして独自の哲学を、西田幾多郎と共に構築した。中沢新一はこう語る。「今日の私たちに、田辺元の哲学的思考がずばぬけた現代性を備えているように思われるのは、それがハイブリッド思考製造機としての、強力な作動を行っているからである」と。

■ 21世紀は、日本では「総合的学習」というものが生まれてきた。かつてのケーベル先生や田中美知太郎のような客観主義的、教養主義的な近代教育路線から再び西田・田辺のようなハイブリッド思考を近代教育のあり方として取り入れようというのであろうか。「総合的学習」への抵抗は、「京都学派」への抵抗と似た構造を持っているのであろうか。「国公立大学の独立行政法人化」への抵抗は、「京都学派」への抵抗と類似した構造を持っているのだろうか。西田幾多郎は東大選科の出身で、正科ではない。したがって卒業者名簿に西田の名前はない。青年時代の西田は、明治政府の教育行政に反発を感じていた。京都大学選科に移行した田中美知太郎は、京都大学の卒業名簿にその名前が残っている。東京帝大を締め出された高等師範出の務台理作(桐朋の設立者、教育基本法構築の際の主要メンバーの一人)も京都帝大に拾われている(京都学派の人物情報に関しては、竹田篤司の著書「物語『京都学派』」を参考にした)。当時の京都帝大の東京帝大という官僚教育制度とは違う近代化路線をとっていた場所で、京都学派はハイブリッド思考製造機を組み立てることができたのだろう。

■ 近代の道は複数ある。その複数の考え方を育んだ重要な場所として開成があったし、これからもあるのだろう。開成自らが「若き心」という校史の資料をその意図のもとに刊行しているからである。そして、この「若き心」で論を張っている若い開成学園の生徒に反発、共鳴、超克と様々な影響を与えたハイブリッド思考というDNAを作った先輩の一人に、あの田辺元がいたのである。



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