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学校選択は世界を変える学習のパラダイムを踏まえて(2) |
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2005年5月24日 |
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§1 パワー・クラスからクリエイティブ・クラスへ(図−1参照) ◆ 2010年までに欧米は、大きく産業構造がまず変わる。日本は2030年になっても変わらず、結果的に20年大幅に遅れて産業構造を変えようという動きになるだろう。これは「米国経済白書」と「日本21世紀ビジョン」という両国が今年発刊した報告書を読めば、そのような違いがあることがわかる。 ◆ もちろん、今年実施される総務省による国勢調査は、新しい産業分類の試みを本格的に始める。日本だって産業構造の転換を捉えようとしているといわれるかもしれない。だが、基本的には2000年に実験的に行われている新しい産業分類で産業構造を把握しようとしているのであり、それは第三次産業の大分類、中分類、小分類の統廃合と新項目を追加するという作業であって、基本的に第一・第二次・第三次というカテゴリーが変わるわけではないのである。パラダイムチェンジではなくリフォームなのである。 ◆ しかし、日本も欧米と同じように、第一次産業にも第二次産業にも第三次産業にも、Technology、Talent、Toleranceという3Tを有するクリエイティブな人材が散らばっており、彼らの仕事は産業構造を横断する業態であるのに、それぞれのカテゴリーに埋め込んで見えないようにしているのが日本政府や官僚の産業構造を把握する視点である。 ◆ ところが、欧米では第4番目の産業として、彼らを1つのカテゴリーに独立して集約しようという見方がすでにある。それがクリエイティブ・クラスという発想である。そしてこのクラスがすべてのカテゴリーを貫徹して存在できるわけであるから、第一次産業、第二次産業、第三次産業のクリエイティブ以外の仕事は欧米以外の国に任せようという方向になるだろう。 ◆ これが欧米のグローバリゼーションである。このような動きを支えるのは3Tの能力を有した人材であり、こういうクリエイティブな人材を育成しようと言うのが欧米の教育改革である。「教育、教育、そして教育」の背景には、クリエイティブ・クラスを国内だけではなく、世界の産業をまとめあげる人材として育成することが経済力を確保する戦略だということだ。 ◆ 教育と経済の結びつきが見えにくいのは、日本にいると見えにくいのだが、それは日本にはクリエイティブな人材がクラスを形成していないから、見えにくいという一つの証明でもある。クリエイティブ・クラスの特徴は知的所有権という経済活動である。目に見えないものの錬金術なのである。ところが日本は目に見えないものにお金を払う経済活動は不得意だ。いったん物質にしてから経済にするというmilitary的な組織が運営するモノ作り所有権を持続可能にする法治国家なのである。 ◆ なぜなら、目に見えない部分を物象化すると利益がそれほど上がらないから、勤労・勤勉・倹約という抑圧的な組織構造で運営せざるを得ない。農業ばかりではなく経済活動そのものが集約的なのである。ところが目に見えないものを物象化する場合、金融商品が良い例だが、莫大な利益を生み出すのである。商品の価値は市場に集まった人々の気持が決めるからだ。ここでは目標達成が問題なのではなく、自己実現という目標探究型の姿勢が大事で、合理的で、開放的で、消費的で何よりもアイディアが重要という仕事のスタイルになる。アイディアを重要視するということは仕事の環境は超時空的である。24時間態勢だし、場所も世界中どこでも。要するにネットがつながっているところであればリアルな時空はどこでもよいのである。 ◆ しかしこういう社会の秩序を持続可能にする法律構築は、日本ではまだまだ慣れていない。日本の法律の背景には排除の論理があるからだ。論より証拠、移民対策は全くできていない。国内の男女の格差は世界でもかなりあるほうだ。GEM指数は44位という始末である。男女、移民、セクシュアリティの差別の問題をどのように解決するかというときに必要なToleranceという感覚はまだ日本では育っていない。確かに憲法9条で戦争を放棄しているし、軍隊も持たないことになっている。しかし、コミュニケーションの仕方の中に内在的military要素があるのである。 ◆ 本来は教育においてこういう要素をクリーニングしていく必要があるのだが、公立の教育の中では、なかなか難しい。私立中高一貫校に期待がかかるのは、大学進学実績がよいからではなく、そういう部分に力を入れる教育を行っているところが多いからである。また3Tの養成は、実は経済を活性化するのであるから、公立の教育が経済を活性化する人材を作っていないことは明らかである。当分欧米のクリエイティブ・クラスに活性化される側であり続けるのである。 ◆ 日本のトヨタが世界のビッグ3を侵食し始めている。しかし、これは自らクリエイティブ・クラスを放棄し、あくまで抑圧的な組織構造を持続可能にするパワー・クラスの保守を突き進むという証しである。自動車業界の中では、トヨタは世界の脅威だろう。しかし、グローバルスタンダードから言えば、日本はクリエイティブ・クラスには与しないということを宣言していることになる。3Tを有した人材は国内からどんどん国外に流出していくし、海外からは3Tを有した人材はやって来ないということを意味している。 ◆ 観光立国という方針があるというが、それとて文化遺産をモノ化して、やってきた観光客にモノを売りつけようという目論見だろう。文化を形成するソフトについて情報公開し、そのソフトの魅力で海外の人々を惹きつけようという企画が足りない。そういう企画を生み出すアイディアの醸成装置が総合的な学習だったはずなのに、やはりクリエイティブな発想は否定されつつあるというのが日本の現状だ。 ◆ 欧米の世界戦略は、基本的にはギリシアやローマ時代の都市国家づくりに範がある。市民であることが市民でないものとの大きな較差がある。もちろん、そこでは排除の論理が思い切り働くのであるが、市民間ではそれは穏やかなのである。そこが日本と違う。日本は同じ国民の中に排除の論理を持ち込むのが基本だ。 ◆ もちろん本当の目標は欧米のクリエイティブ・クラスでなく、地球市民的立場に立ったクリエイティブな連帯だろう。しかし、日本の場合、まずはドメスティックな排除の論理を何とかすることに気づくことが先である。それは、社会力育成をする教育によって可能なのである。世界を変える学習を実践する枠組みはすでに近代日本の学校教育システムで十分に出来上がっているのだが、その行く手を阻んでいるのは、制度ではなく官僚的幻想が物象化された公立教育内ルールなのかもしれない。ここでもこの官僚的幻想という呪縛から解かれている私立中高一貫教育に期待するのは歴史的必然なのではないだろうか。 |
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