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学校の分類の探究が、学校選択の鍵

2003年10月6日
by 本間勇人(honma@netty.ne.jp)


■ 10月の公開模試は、いつものように大学や私立中高一貫校の会場で開催された。今回私は中村学園のフェニックスホールで語ることができた。今年の私の関心事は、2つある。1つは、保護者が偏差値システムを活用しつつ、いかにそれを脱したらよいのかということである。もう1つは、この偏差値システムをうまく活用している学校と活用できないでいる学校、そして偏差値システムを脱構築できている学校があるということをいかにわかりやすく説明するかということである。

■ もっとも、保護者にとってもこの関心事は興味があるらしく、保護者会自身は盛り上がるが、実際は、うまく説明できていない。公開模試を主催するスタッフや仲間とも事前事後で打ち合わせるが、必ず「本当に本間さんの言うように、この学校は変わるのか」という議論になる。

■ スピーチや短時間のミーティングでは、「伝統的学校」と「先進的学校」という分け方で話すが、「先進的」という言葉がすでにまやかしに聞こえるらしい。大学進学実績をうまく出せないから、英語教育やIT教育、総合的学習で新しさを売り出そうとしているのではないかという疑問を持つようなのだ。たとえ大学入試や大学自体がこれから変わるし、グローバルな世界では、ITや英語は重要だろう、そういう社会変化を予想して「先進的」なプログラムを創っているのだから、「大学進学実績」も結果として出るだろうと説明しても、本当に社会が変わるのだろうかと否定的だし、だいたい今実績がないのに6年後出るのか保障がないと堂々巡りになる。

■ しかし、実際目黒学院、神奈川学園、八雲学園、共栄学園などは、その「先進性」ゆえに入学する生徒も大いに集まり、実績という結果も毎年更新しているのである。今では「先進性」という言葉は忘れ去られているほど安定して生徒が集まり、目覚しい実績をあげている逗子開成や鴎友学園、洗足学園などは、もともと「先進性」で成長してきた学校である。私学の成長の歴史から見ても、「先進的学校」に期待が持てるはずなのだが。

■ ただ、私のいう「先進性」の意味は、新しい教材・器材の導入、新校舎建築などを指して入るのではない。それがわかりにくい原因になっているのかもしれない。わかりやすさのため、そういう「もの」を「先進性」の象徴として言わざるを得ないときも確かにあるが、真意はそこにはないのである。バイオリンやフルート、茶道を生徒全員が学ぶ学校がある。芸術的感性を大事にしているからとそこの教師が語ったとする。たいへん素敵だし賛同できる。日本女子などはそのような学校の1つだし、良質の「伝統的学校」だと思う。

■ 外から見ていると同じような学校に中村学園がある。しかし同学園は「伝統的学校」なのではなく、「先進的学校」なのである。それは、バレーボールによる身体づくりもフルートの演奏による身体づくりも茶道の身体の型も、実は無関係なのではなく、創造的才能を発揮するときの生徒1人ひとりの固有の自然体をつくるプログラムとして自覚的に結合されているからだ。たしかに芸術や体育や道は、芸術的感性を磨くのだが、それは創造的な道を開く型なのである。

■ 1人ひとりがこの型を自分の身体に見出すと、その姿勢はあらゆる分野で力を発揮する。教科学習の体勢にも影響を与える。このように教科学習も芸術も、ばらばらに学校内に存在するのではなく相互に関係し合うようなプログラムを創り出していくことを「先進性」と言っているわけである。良質の「伝統的学校」は、教科も芸術も1つひとつが見事なまでに優れて完結しているが、つながりはないのである。1つひとつ独立自尊している。1つひとつの質が高いことが重要なのである。

■ 一方良質の「先進的学校」は、つながりの広さと深さにおいて限りがない。この広さと深さが見えないうちは、実際には新しいものを導入しているだけのように見える。だから新しい「先進的学校」は、評価されにくいのである。

■ 強い「伝統性」をT、弱い「伝統性」をt、強い「先進性」をP、弱い「先進性」をpとすると、実際には「Tp」「tp」「tP」「TP」という具合に学校は分類できる。また「伝統性」の学校も、「教科」に力を入れている学校をT1、t1、「芸術・体育」に力を入れている学校をT2、t2 、両者に力を入れている学校をT3 、t3とすると、「T1p」「T2p」「T3p」・・・・・・・・と分類は複雑になっていく。

■ このように学校の分類は、複雑だが、この分類がある程度見えたとき、そこに偏差値システムの呪縛から逃れられる新たな領域が見つかるのかも知れない。



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