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| 東京家政学院中学・高等学校 |
| by 本間勇人(honma@netty.ne.jp) |
| 東京家政学院に生き続ける驚くべき創立者大江スミの精神
JR市ヶ谷駅から歩いて8分、千代田区三番町という都心の一等地に7階建てのビルが慎ましやかに、それでいて凛としてそびえ立っている。その建物から女子学生が幾人か笑顔をふりまきながら、出てきた。すると、建物が「お嬢さんたち、そこのベビーちゃんたち、ごきげんよう」と語りかけたかのように思えた。実際には、敷地に足を踏み入れた私に彼女たちが語りかけたのだが。 この建物こそ、東京家政学院中高である。渋沢教頭(東京教育大学で、ベルグソンを研究していた紳士。三輪田の西校長も、東京教育大でアダム・スミスを研究していた。そのせいか、どことなく雰囲気が似ていて、学校を導いていく人材が優秀であることがいかに重要であるか考えさせられた)に教育についていろいろ教えてもらいながら、校内見学をさせて頂いた。 1学年が200人ほどの中高で、7階建てというのは、大変贅沢なスペースの使い方をしているのだろうと思っていたが、果たして快適な空間作りをしていた。コミュニケーションスペースとしてのラウンジもあるし、国語以外のすべての教科で、特別室を設置している。生徒会室も、他の学校の倍以上はあり、ゆったりしている。いかに生徒会活動に力を入れているかが分かる。茶道室も、豊かで、京都の職人を呼んで作らせているところなどは本物を大切にする学院の意向が反映している。 もちろん、スペースがあるというだけではない。スペースは、生徒の学園生活の目的に合わせて存在するのであるから、その目的に応じて設備が必ずあるはずである。 コンピュータから花の道具まで、これまた他の学校にあるものはすべて揃っているし、生徒たちは、これらの空間と設備をよく活用している。図書館で明るく話し合いながら調べ物をしている生徒たちの姿や各階のベランダで何気なく語り合っている生徒たちの様子には、明るく開放的な人間が育つことを願う学院の配慮が染みわたっている。 数学準備室に、ピアノが置いてある。どうしてだろうと尋ねてみると、学院では、「合唱祭」という大イベントを毎年行っているため、生徒たちがいろいろな場所で練習できるようにとピアノを到るところに配置しているのだそうである。そういえば、敗戦後まもない1948年に、学院は「東京家政学院子供のための音楽教室」を開設している。幼き日の小沢征爾や中村紘子などやがて音楽会の超有名人となる人材を輩出していたのだ。小沢征爾をはじめとする日本の音楽家たちの師、斉藤秀雄が、この教室で弦楽科の主任をしていたというのも驚きだ。その後、桐朋女子にこの教室の経営は移管した。なぜ家政と音楽なのか、今ではピンとこない人が多いだろうが、今日世に名声を博している桐朋の音楽教育は、家政学院のこの活動がなければどうなっていたのかわからないのである。 茶道は、今日庵裏千家で、茶室も超一流。花道は、大和花道家元が直接講師をしているほど本物志向。コンピュータは、情報処理の時間だけでなく、地学など教科のなかでも使われている。音楽環境も万全。古きものも新しきものも渾然一体となった家政学院の教育の基礎は、創立者大江スミが確立した「家政学」の教育理念を継承し具現化したものだという。家政学院の空間と設備、そして教師と生徒たちの一挙手一投足すべてに、大江スミの教育理念が浸透している。一般には、花嫁道具だぐらいにしか思われていない家事学、家政学は、実はとてつもない深さと広がりをもった科学なのだが、戦後の浅はかな学習指導要領に基づいた教育学が、この深遠な大江スミの業績にマスクをかけてきたのかもしれない。 麻布中で、今一番楽しい教科が家庭科だというのをどこからか聞き及んだが、どうやら、画一的で平均的視野の持ち主である大衆が見落としてきた重要な何かを、麻布の先生や生徒たちが、その自由の気風がゆえに見つけたのかもしれない。 麻布が影響を受けるような何か、桐朋女子が影響を受けた何か、そして実はあの市川房枝にも立場を異にしながらも婦人の権利獲得運動に対して重要な影響を与えた大江スミという人間の器と「家政学」を少し調べてみる必要がありそうだ。 |
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