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| 東京女学館中学・高等学校 |
| by 本間勇人(honma@netty.ne.jp) |
| 東京女学館の不易流行 ―99/11/8 ― 「この国(ベトナム)の実状を見る限り、『近代化』とは物質生活の西洋化、ハイテク製品を使うこと、『発展』とはGNPが増えること、1人1人がオートバイを持つこと、と認識されているようにしか見えない。もしそうなら、資本がなければ近代化も図れないという結論になってしまう。しかし、この国に今必要なのは、人々の頭の中の近代化ではないかと思う。」 これは、東京女学館の高校1年生の労作「ベトナム『ドイモイ政策』の効果について」という論文からの引用である。東京女学館では、高1になると、ほぼ1年かけて、4000字以上の論文制作に取りかかる。テーマを自ら選択決定し、指導教員による面接指導を受けながら作成していく。面接指導は3回以上行われる。そのたびに生徒は下書きを提出し、提出しては書きなおし、再び提出するという過程を経る。もちろん、文献調査だけではなく、フィールドワークも行うので、たっぷり時間が必要となる。そして、教員は、そのつどそのつど読み、構成をチェックしていくわけだから、傍から見ていると、大変なご苦労であると感じるのであるが、先生方にとっては至上の喜びの時間であるという。毎年毎年、大学の卒業論文指導さながらの作業が行われているのである。 この論文指導は、その制作過程の詳しい実施要綱にあるように、論理と表現力という骨太の女学館の生徒の知性を構築していく教育場である。また、昨今増えている小論文形式の大学入試や表現力によって生徒の知性とセンスの全体像を評価しようというAO入試に大変有益なトレーニングの場でもある。 しかし、何より重要なことは、この教育実践の中に、東京女学館の不易流行としての理念が息づいているということである。先に引用した箇所は、女学館の在校生が、「近代化」の光と影を丸ごと受け入れたうえで、「近代化」の光の部分をみいだし、実現していきたいという発想を持っているということを表している。この発想は、遠く女学館の創立時にまでさかのぼることができる。渋沢栄一が女学館を創立した当時こそ、「近代化」の光と影が混在した精神が誕生した時代である。そして、渋沢栄一自身が、幕末から明治へと「近代化」を促進した仕掛け人である。近代日本の父ともいうべき存在なのである。渋沢翁自身の仕掛けは、「近代化」の光の方を求めたものであったはずである。東京女学館は、この意志を受け継ぐ形で創出された。 渋沢栄一が生きた時代に、日本で翻訳されベストセラーになった書に、サミュエル・スマイルズの「西国立志編」というのがある。プロテスタンティズムの普及版で、自助の精神と起業家精神が反映している書物である。司馬遼太郎によると、当時の政財界人に相当影響を与えたらしい。渋沢翁は、儒教的な精神を大切にしていたといわれる。儒教的な精神に基づいた明治維新前後の日本の商人とプロテスタンティズムに基づいた資本家の類似性はよく論じられるところから、渋沢翁の企業家精神も、倫理に基づいた「近代化」を考えていたと思われる。 東京女学館では、このような発想や考え方が教育理念として成長し、豊かな実を結びつづけているのである。かのスマイルズも「文明を創り出す名工と呼ぶにふさわしい人々の努力は、とぎれることなく引き継がれる」と述べているが、文明を創り出すという意味の品性をもった女性を育成していく教育的努力が、とぎれることなく女学館で引き継がれているのである。 |
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