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コミュニケーションと言葉(5)

2007年8月28日
by 本間勇人

◆ 前回<あらゆるものは仮説で、その都度変更に迫られる。相手が何を感じ、考えているのか常に話し合わねばわからない。そんな事態が日常化している。話し合っても勘違いの関係で成り立っているかもしれないのだ。信頼性、妥当性、正当性のモノサシは、官僚や教師が独占していたのでは、何もできないという大きな不安=BIG ANXIETY(以降BIG−X)の出現。その都度その都度『BIG−X』を見つけては乗り越えなければならない。>と書いた。

◆ この捉え方は、おそらく現代思想の論客の方々と重なるところがあるのではないかと思う。私の場合は、教育や学習の場(といっても民間シンクタンクだから斜めからの視角から捉えているに過ぎないが)で感じているだけだが、現代思想家は、世界の思想と歴史の中の現実を常に結びつけようとしているので、≪BIG−X≫を的確に隈取っている。現代思想の一望を試みている仲正昌樹さんの「集中講義!日本の現代思想〜ポストモダンとは何だったのか」(NHKブックス 2006年)は、まさに現代思想小史で、わかりやすい。

◆ といっても、私は序と第七講、第八講しか読んでいない。昔から講義というのは苦手で、読書もいつもつまみ食い。あとは想像でつないでしまうので、不遜の姿勢を咎められるのは当然であるが、「草枕」の画工「余」→「世」→「存在」に出会って以来、こういう読み方も是であると、寄らば大樹の陰を決めている。

◆ さて、仲正さんは、私の言う≪BIG−X≫と似たような状況を、東浩紀さんの「郵便的不安」という考え方で説明している。「『郵便的不安』とは詳しく言うと、『大きな物語』としての『歴史histoire』が『終焉』し、さまざまなタイプの物語が―相互脈絡もはっきりしないまま―散乱するようになったポストモダン状況においては、各人が自分の歩んでいる方向=意味(sens)を指し示してくれる『物語histoire』の確かさについて確信をもちきれず、アイデンティティの不安を抱えているということである。・・・私が信じているものは、"単なる物語"にすぎず、他の主体たちが信じている"物語"とはまったく食い違っていて話が通じていないかもしれない、『私』は独りよがりの幻想の中で自己満足的に生きているだけかもしれない。といった、自らの生の方向性=意味をめぐる根本的疑問を抱き始めると、底無しの不安にはまっていく」

◆ この「郵便的不安」をそれほど自覚せず、なんとなく不安ではあるが、自己満足で生きていける人間の在り方を「動物化」と東さんはネーミングしている。ハイデガー的ではあるが、ネーミングが違う以上全く違うと了解したい。ハイデガーは「不安」が、存在喪失を快復するきっかけになればよいと思っていただろうが、東さんの「郵便的不安」は、新しい存在を創るきっかけであろう。決してポジティブでもネガティブでもない気分・・・。

◆ 仲正さんは、この「郵便的不安」について東さん自身が書いている次のような箇所を引用している。「若者文化の全体を見渡せるという幻想は、もはや広告代理店にも通用していないと思います。あちこちで面白いことをやっているひとはいて、それぞれカルト的なファンを作っているのかも知れませんが、みなバラバラに勝手にやっているから、その情報を集めるのはきわめて難しい。こういう状況だと逆に人々は、自分のところに届いた情報―デリダ的に言えば『手紙』―がどこから発せられたのか、配達の途中でどのように歪められたのか、また自分の投函した情報がどこに届くのか、そのようなことに非常に意識的たらざるをえない。つまり90年代の文化消費者は、いつも郵便的不安に取り憑かれていると思うんです。」

◆ しかし、そんな「郵便的不安」を鮮明に感じないで自己満足して生きていける人間が増えてもいる。つまり人間の「動物化」。そして一方では、その「動物化権利」を守るべくあらゆる場面で「法化現象」が生まれている。糖尿病になったのは、Mハンバーガー屋が原因なんだと訴訟が頻繁に起こるような現象。

◆ 東大に入れなかったのは、学校の指導がおかしいからだと訴訟が起こるかもしれない。現に学校のマニフェストを果たせなかったら全額学費を返還しますというマニフェストを出しているところもある。

◆ なんかおかしいと感じる人は、モダニズムの世界の人ということになるのか?この「郵便的不安」と「動物化」という≪BIG−X≫状況を目の前に、絶望するのか、楽しむのか、未来を創りだすのか?仲正さんは、「いずれの側に傾くにしても、"コミュニケーションを通しての普遍的な合意"に到達するものは、もはや無意味という感覚だけは確実に広がっている。」と。

◆ ではどうすればよいのかというと、仲正さん自身は、わからないと。ただし、完全に「動物化」してない今、まだ現代思想は社会を分析する道具として不要になるわけではないと居直ってしまっている。

◆ 東さん自身は、そこは居直らない。東さんの違う分野での仲間たちは、紙ベースの情報とサイバースペース上の情報との差異を明確に意識している。「動物化」幻想の背景にはこのサイバースペース上の情報の批判的思考の及びにくさが原因なのである。紙ベースの情報の外部及び内部構造は、2000年以上に渡る検証がされ続けてきた。新進気鋭の若手現代思想家仲正さんでさえもまだその伝統の上に立っている。

◆ しかし、サイバースペー上の情報は、インプットする時は一見紙ベースの情報コンテンツのように見えるから、違いは見えないが、まさしく情報がどこからきてどこへ持っていかれるのか、実はわからない。主体者だと思っていると、実は違っているということは頻繁に起こっているはず。

◆ 東さんの言葉で言えば、紙ベースの情報はやはり「規律型統治」の構造の中でやりとりされているが、サイバースペース上の情報は「環境設定型統治」の構造の中でやりとりされている。だから、情報のやりとり、コミュニケーションのやりとり、知識の記憶及び創造の仕方を「規律型統治」の組織の中でやっていこうとすると、そこからはみでる人材がたくさんでてくる。

◆ そして、その人材の中から、クリエイティブ・クラスが輩出されているのが現状である。だから、絶望する必要も刹那的になったり郷愁に浸る必要もない。新しいコミュニケーションの方法論を、新しい世界コミュニケーションのモノサシを模索していけばよいのである。物理的時間の中での「大きな物語」が重要なのではない。物理的時空の中では、小さな個人の物語かもしれないが、それは虚時空の中では「大きな人間(BM ; BIG MAN)」としての「自分の物語」をみんなバラバラに創作していけばよいのである。ただし、1つのささやかなルールがあるそれはゴールデン・ルール(GR)である。GR=Do unto others as you would have them do unto you.

◆ そしてこの新しいコミュニケーション―麻布の氷上校長先生だと「新しい教養」と言うのだろうが―を創るのはどこかというと、学校であり学習である。つまり、「21世紀型学習過程」としての「シナジー効果を生み出す学習」である。

◆ この学習について、前回こう書いた。<「自問自答」し、その「自問自答」を互いに表現し合う学習が行われる。そのプロセスは≪4X≫回路(体験experience・探究explore・議論exchange・表現express)である。≪BIG−X≫には≪4X≫回路でというわけである。そして≪4X≫回路は、それが回転すればするほど≪CTL≫レベルが上がっていく。かつてのように偶々天才児のレベルが高いのではなく、多くの生徒が≪CTL≫レベルをアップしていくのである。そして教師の仮説は打ち破られる。発想や技術、仲間への思いはさらに広がる。つまり3Tが多くの生徒から生まれてくる。>

◆ 小さきものは幸いである。



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