私立中高一貫校研究 私学Bracketing 学校選択を考える 入試について 学力を考える 学びを考える
教育と経済 フランク・ロイド・ライトとの対話 これからの教材 企業と経済研究 入試に役立つ読書 未来を創る学校





コミュニケーションと言葉(4)

2007年8月27日
by 本間勇人

◆ 前回「ジェフ・ホーキンスの"On Intelligence"を読んでいくと、"NEURAL NETWORKS"の典型的な作用である"back propagation(誤差逆伝播)"はCTLレベルの1と2に相当し、知性と感性が人間関係の対話の中でシナジー効果を生むという"BRAIN"と"NEURAL NETWORKS"関係総体は、関係のレベルに応じてCTLレベル3から5に相当するという予感が働く。」と書いたが、実はこの問題は、すでに授業という学習過程で生まれている。

◆ 1989年のベルリンの壁が崩れるまでは、あまり問題になってこなかったが、89年以降の急激なグローバリゼーションの拡大は、脳科学だけではなく、教育にも影響を与えていた。当然といえば当然だが。

◆ ともあれ、教育においても"Now is the turning point."であったのである。しかし、日本の教育業界全体にはまだまだ気づかれてない。それに気づいたところと私たちの仲間は協働しているということになる。【図】にあるように、89年までの授業における(授業に実はこだわらないのだが)「20世紀型学習過程」は、教師が予め用意した正解と生徒が内面のなかで「自問自答」して考えた解答のGAPを照合し、それを埋める過程であった。

◆ あまりに全体主義的学習ではないか、操作性と誘導性に満ち満ちている。しかし、冷戦下においてそんなことに気づく教師はなかなかいなかっただろう。だいたい文部科学省がそれを許さない。学習指導要領以上のことをやってはいけないと、常にGAPをチェックしていた(今も結局そう)からだ。この場合は、学習指導要領に届かないGAPではなく、超えるGAPを抑圧するというものだが。私立学校がその抑圧に対し、ATフィールドを張るのはそういうところ。

◆ しかし、実際には超える教師がいたし、超える生徒がいた。良き教師と天才が。良き教師は自分の用意した解答は仮説に過ぎないと柔軟にとらえることができた。だからはみ出した天才の解答を寛容に受容できたのである。またはみ出す天才児は、徹底的な自問自答というクリエイティブ・コミュニケーションのシステムをどこかのタイミングで内面化できていた。

◆ 学習過程の中の生徒の「自問自答」と教師の「自問自答」のコミュニケーションのレベル、つまり≪CTL≫のレベルが偶々高い場合、良き教師と天才児が生まれたのである。この「自問自答」の≪CTL≫レベルに関して、モノサシを持っていない文部科学省は、このような事態に気づいていないし、それゆえ抑圧することができない。むしろ悪法も法であるという法実証主義的リーガルマインドを逸脱していないのだから、良き教師や天才児を表彰していれば、悪法システムは保守できるという、初歩的包摂行為を発動し続けている。

◆ しかし、89年以降、激動のグローバリゼーションは、そんな用意された解答とのGAPを埋めればよいという授業は成り立たなくなった。移民という異文化と異言語のハイブリッド時代である。考え方・価値観・感じ方が全く違い、あらかじめ正解など準備ができない。想定外の化石燃料の地球規模の影響、想定外のテロの破壊行為、想定外の感染病の拡大、想定外の倫理上の課題、想定外の金融資本の浮き沈み幅など、まさにセカンド・インパクトが21世紀を襲った。

◆ あらゆるものは仮説で、その都度変更に迫られる。相手が何を感じ、考えているのか常に話し合わねばわからない。そんな事態が日常化している。話し合っても勘違いの関係で成り立っているかもしれないのだ。信頼性、妥当性、正当性のモノサシは、官僚や教師が独占していたのでは、何もできないという大きな不安=BIG ANXIETY(以降BIG−X)の出現。その都度その都度≪BIG−X≫を見つけては乗り越えなければならない。そのシステムが、授業においては「21世紀型学習過程」としての「シナジー効果を生み出す学習」である。

◆ ここでは、生徒も教師も「自問自答」し、その「自問自答」を互いに表現し合う学習が行われる。そのプロセスは≪4X≫回路(体験experience・探究explore・議論exchange・表現express)である。≪BIG−X≫には≪4X≫回路でというわけである。そして≪4X≫回路は、それが回転すればするほど≪CTL≫レベルが上がっていく。かつてのように偶々天才児のレベルが高いのではなく、多くの生徒が≪CTL≫レベルをアップしていくのである。そして教師の仮説は打ち破られる。発想や技術、仲間への思いはさらに広がる。つまり3Tが多くの生徒から生まれてくる。

◆ 「20世紀型学習」は≪BIG−X≫にマスクをかけ、≪4X≫回路ではなく一方的に知識を投げかける≪CTL≫レベル2のコミュニケーションシステムだった。ところが世界の≪BIG−X≫はそれでは通用しない。マスクをかけても≪BIG−X≫の方からあふれ出ているのだから。この事態に対応できず後手後手になっているのが、今の公立の教育現場。文部科学省が「言語力」を重視し、「確かな学力の向上」路線を決めたというが、おそらく「20世紀型学習」を堅持してやるのだろう。≪BIG−X≫に対し、なんとか臭いものにふたをするという対症療法以上でも以下でもあるまい。

◆ しかしながら、希望はある。要は「自問自答」に≪CTL≫レベルをアップする創意工夫をすればよいわけだ。それによって≪BIG−X≫はキャッチできるようになる。仮に座学でも、≪4X≫は内面の「自問自答」の中でやれるように創意工夫すればよい。論文指導という官僚型近代のやり方だ。規範を内面化する文部科学省が喜ぶやり方。(麻布や海城の論文は、その内面化を批判する過程だから似て非なるもの。)

◆ ところが官僚型近代はその内面に矛盾を内包している。≪BIG−X≫をね。官僚型近代のやり方の行き付く先は、矛盾の歴史的露呈。だから、本当はいくらでも公立学校は創意工夫という革新が可能なのである。教育制度の改革は対症療法である限り、役に立たないし、実は創意工夫を削除する影響力はないのである。



私立中高一貫校研究の目次へ