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コミュニケーションと言葉(2)

2007年8月8日
by 本間勇人

◆ 友人たちとあるレストランに入って、歓談中トイレに行きたくなった。「トイレに行ってくるよ」と席を立ちつつ、「どこだろう」とつぶやくと、友人たちが「あっちに表示があるぞ」と。そして「あっ、そうだね。ありがとう。」ということになる。当たり前の風景だが、こんなところにも創造性はあるのだというのは、ジェフ・ホーキンス。「考える脳 考えるコンピュータ」(ランダムハウス講談社 2005年)という翻訳がでている。

◆ 他のレストランに行った経験が、レストランの空間機能のパターンをつくり、それによる類推によって予測を立て、試行錯誤して(この場合あっという間だが)目標物を探し当てる。これは立派な未来を予言する創造なのだと。つまり、“We predict the future by analogy to the past”ということ。

◆ これには私も同意。ここには過去と現在と未来が、見事に円環している。過去と現状のズレという弱い矛盾が、未来を創造する日常のケースである。≪学びのコミュニケーションレベル×チームレベル×リーダーレベル(以降CTL)≫でいえば、この仲間たちは最終的にはレベルVに到達している^^)。

◆ しかし、いつもこういうわけにはいかない。「どこだろう」とつぶやかずに、1人で歩き回ったり、店内のスタッフに聞いたりする場合もあるだろう。また、つぶやいても、友人たちは無視したり、「お店のひとに聞けばぁ」とか言ったりする場合もある。そんなとき、誰かが「みんな冷たいじゃん」なんてヘルプをする仲間がでてきたりすることもしばしばではないだろうか。

◆ この友人たちのケースは、≪CTL≫に照合するとレベルTである。少なくともフレンドリーな雰囲気は壊したくないのである。だから遠慮して1人で行動したり、協力を促す利害調整型リーダーシップが発揮されたりする。

◆ もしかしたら、最近では、仲間というのは、フレンドリー・チームが主流なのかもしれない。同じように初等中等教育における学校組織もそのレベルかもしれない。従来、教師は多様なクレイムをインフォーマルな利害調整型の保護者との話し合いで切り抜けてきた。私立学校の場合は、教育理念を共有しているから、一見フレンドリー・チームのように見えるが、OC(抑圧型コミュニケーション)の部分はレベルVに到達しているというケースが多い。しかし、公立学校はそういうものはない。居住地によって決まるのだから、憲法や教育基本法に掲げられている教育理念以外に共有する学校独自の大きな理念などないからだ。

◆ だから、最近は保護者がフォーマルに校長に直接抗議したり、教育委員会に直接クレイムを入れたりする。最強な行為は訴訟のステージへ直行ということになる。≪CTL≫レベルUの状態でレベルTの組織に圧力をかけるのだ。学校側の敗訴例が増えるわけだ。

◆ そこで学校もコンプライアンス戦略ということになるのだろう。学校もリーガルマインドという法的教養を持ちましょうと。しかし、このリーガルマインドは、法律は法律であってそれ以上でもそれ以下でもないという法実証主義の次元。悪法も法であるレベル。日本国憲法下にあっては、法律の違憲立法などは、厳しい条件が設定されなければできないわけだから、当然なのだが、教養としては、法律の正当性や信頼性、妥当性や法創造の局面も思考する教養であってもよいはず。ここにリーガルマインドもレベルがあるということになる。

◆ 法学者、弁護士、検事、裁判官などの法律家の有している≪CTL≫はレベルU程度の場合が多い。それゆえ、日本社会のコミュニケーションレベルは当然低く、グローバリゼーションに耐えられない。

◆ しかし、中にすごい法律家がいる。法実証主義を成り立たしめる悪法も法とする法創造ができる法律家である。彼らは≪CTL≫レベルW。アメリカの弁護士チームは完全にこれだな。だから、日本は国際ルールで勝てない。ただし、≪CTL≫レベルXのコミュニケーションレベル、チームレベル、リーダーレベルの新しい教養を身につければ勝てる。別に勝ち負けが目的ではないが、公平公正な交渉をするための人材教育が必要だと言いたいだけである。

◆ 一般の公立学校でこのレベルが期待できないのは、結局学校経営の道徳、経済、法律のどの局面も≪CTL≫のポジショニングはレベルU以下であるからである。学習指導要領は拘束力があるとあっさりいってのけられるのは、レベルU以下の象徴的な証拠である。

◆ ただし、心ある教員は、このレベルを突破できる可能性を持っている。教育行政や教育制度が入り込めない最後の砦があるからだ。それは授業と論文指導。つまり教育プログラムだ。素材や範囲は学習指導要領に拘束されていようと、深さや高さは制限がないのである。深みや卓越性に関しては、法的拘束力は及ばない。いやいや表現の自由!思想の自由、言論の自由!という法的拘束力がAT(Absolute Terror)フィールドになるからである。これを破壊するアンチATフィールドとぶつかる局面があるとしたら、それは近代文明が殲滅される瞬間。≪CTL≫レベルU以下ではそんなアンチATフィールドを持ち出せる人材はいない。

◆ ではそんなことができる人材のレベルは?≪CTL≫レベルX以上の人材である。このレベルはマックス・ウェーバーに言わせれば、神々の闘いのレベル。正悪の区別がつきにくく、天才となんとかは紙一重領域。個人としての芸術家や科学者は≪CTL≫レベルX人材。しかしチームとして組織として≪CTL≫レベルXだと、その持続可能性は難しい。それこそ神の国の話となる。組織として最強で持続可能性のあるレベルは≪CTL≫レベルW。これとて相当難しいが・・・。

◆ 個性とはこの≪CTL≫レベルW、Xに到って、はじめて個性。≪CTL≫レベルV以下では、個性は役割分担前提に対するインセンティブ用語に過ぎない・・・。



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