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コミュニケーションと言葉

2007年8月6日
by 本間勇人

◆コミュニケーションも言葉も同義。しかし、一般には言葉はコミュニケーションの道具としてみなされる。コミュニケーションもまた意志を伝達するあるいは互いに理解し合う媒体、つまり道具としてみなされる。

◆このような見解に正しいも間違いもない。あらゆるものは道具になりうるからだ。キリスト教にあっては、人間は神の愛や意志を支える道具である。啓蒙思想家だと、ちょっとまったぁ、人間が道具では困る、人間こそ存在そのものなのだと主張するだろうか。ポストモダニストだと、神は幻想的論理的前提に過ぎない。そういう道具立てがあって人間の存在があるかのようになっているだけと回答するだろうか。プラグマティストだと、公共的道具性としての人間とその枠内で自由な存在としての人間のバランスが人間関係だということになるだろうか。

◆要はコンセプトだとか価値観だとか考え方次第。どう設定するかだということになるのか。その設定が信仰か、信念か、論理的前提か、仮説なのか・・・という違いか。ただいずれにしても、正当性、信頼性、妥当性のチェックによって証明される。

◆がしかし、その証明は何によってか?話し合ったり、論理を組み立てたり、フィールドワークをしたり・・・。つまりコミュニケーションや言葉によってだ。では、コミュニケーションや言葉の設定をチェックするのは何によって?話し合ったり、論理を組み立てたり、フィールドワークをしたり・・・。つまりコミュニケーションや言葉によってだ。

◆なんと循環論法。それでは他にないのか。感情がある。心地よいか心地よくないかで決まる。しかしこれもまた付和雷同の極地。結局あらゆる設定は、多角的なクロス集計で比較をして最適化されたものを設定するしかない。やはり・・・カント問題に戻ってしまう。そこから脱することはできない。

◆永遠に矛盾の中に、トートロジーの中に、循環論法の中という世界があるだけである。エコロジーとは、結局精神と自然と社会のこの矛盾の循環の持続可能性。したがって、矛盾の連鎖を断ち切ろうとすることは、このエコロジーを殲滅することである。この断ち切るエネルギーが暴力だし軍事力だしということになる。へーゲルの危うさはここにあるし、ヘーゲリアン・ウェイがベースにあるアメリカの発想法の危うさもそこにあるのかもしれない。もちろん、多様なコミュニケーションが一方向に進むのを遅延させるが、9.11はそうはならなかった・・・。

◆コンセプトや理念の設定が官尊民卑システムという権威で守られていた時(1989年まで)は、コミュニケーションもピラミッド型でよかった。上意下達がコミュニケーションだった。だから官尊民卑システムにとってインターネット型の多層多様多角的コミュニケーションなど信じられな〜いの世界だろう。

◆インターネットの市民は、それぞれ違う考え方を前提とし、それは一般的にも多様化と呼ばれているが、互いにその都度、前提を確かめ合わねば、コミュニケーションが成り立たない状態になっている。この混乱状態を超自我とか公共としての正義だとか普遍的原理だとか市場の原理だとか様々な原理で統括しようとするのが教育や法や経済、政治そして自然科学。

◆多層に散らばり多様な考え方感じ方をする個人が参加しているインターネットの世界のコミュニケーションは非常に複雑であると同時に、その前提を突きつめていくと極まりなく単調だったりする。矛盾と混沌という複雑系の世界。しかしながら、この動きはバーチャルな世界でとどまらない。まるでポケモンのようだ。デジタルワールドとリアルなワールドを行ったり来たりしている。ドラえもんの世界もそうだ。

◆漫画やアニメという作品の芸術的次元が高くなればなるほど、時代を反映、あるいは先取りするが、まさにそうなっている。ポケモンの世界にもドラえもんの世界にも公共的正義がある。救いはまだそこにある・・・か。

◆いずれにしても何らかのモノサシを創造することは重要であり、創造したものは批判的検証がなされる必要がある。たたき台が必要ということ。コミュニケーションあるいは言葉の話に戻ろう。これらは精神・自然・社会の矛盾の発見とそれを解決しようという活動の永劫回帰の関係総体そのものであり、この関係総体を持続可能にするシステム作りが、21世紀の新しい教養である。従来はこの教養は一握りの富裕層や官僚に委ねられ、彼らは矛盾の世界幻想を作ろうとしてきた。そうすることによって富の独占ができたのだ。がしかし、そんなことがおかしいということが目の前で起きている。

◆21世紀の新しい教養は全人類でシェアするという方向で進むはずである。そのシステム作りには、コミュニケーションのシステムを明らかにするモノサシ、組織やリーダーシップのあり方の最適化をめぐるモノサシが欠かせない。そこで図のような「学びのコミュニケーションレベル×チームレベル×リーダーレベル」というモノサシを作ってみた。もちろんこれもまた仮説に過ぎない。たたき台なのである。これに基づいて取扱説明書を作ってみたい。できあがった途端に崩れてしまうかもしれないが。



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