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| 学校文化再生産の構造(2) |
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2007年5月21日 |
| ◆ 新学期が始まってすぐ、3月〜5月の間に、多くの私学では、新中1対象に診断テストを行う。入試問題では出題できなかった広範囲の試験を行い、入試と診断テストをマッチングさせながら、クラス分けのデータとして活用したり、特待生と一般性のバランスを調整したり、いろいろな使い方をしている。
◆ しかし、その中でもおもしろいのは、テストの結果というより、テストを通して、1人ひとりの学習の取り組み方やコミュニケーションスタイルを分析している学校もあるということ。これは要するに、表面的には学力優秀だが、他人に対する共感性ややわらかいコミュニケーション能力、他者を受け入れる資質などが不足している場合があるからである。 ◆ テストの成績がよいということは論理的な思考力を有しているということであるが、実は論理的な思考力しか持っていないときがあるのである。選抜テストは、論理的思考力のみあっても十分に解ける。しかしだからといって、論理的思考力だけでよいということはないのだが、中にはそういう「受験脳」の生徒がいるのである。 ◆ 「学校文化再生産の構造(1)」の「学校文化のレイヤー」チャートで考えていくと、「受験脳」の生徒は、@の座標系では第1象限に収まっている。Aの座標系では第2象限に近い第3象限に収まっている。BCの座標系では第4象限に収まっている。 ◆ 私立学校が自らの学校文化を再生産しようとするならば、この「受験脳」を「創造脳」や「共感脳」にシフトするプログラムを持っていなければならない。教師が自ら開発していかなくてはならない。ゆえに現在の公立学校には期待が持てない。日本の教育の危機は、ここにあるのだが、文部科学省や教育委員会は気づいていない。私立中学受験を批判する前に、高校入試がいかに「受験脳」を作ってきたのかリフレクションする必要があるのだが、このリフレクションという弁証法的評価を文部科学省は考えることなどできない相談だろう。 ◆ ともあれ、この「受験脳」を見破ることができない「受験脳」を有している教師陣が多い学校では、このプログラムを開発できない。したがって、このような学校は、大学進学実績を出しているか、出していないかの二極化現象が起きている。「受験脳」の教師陣が多い学校で、大学進学実績が出ていないところの特徴は、そこの教師達が口をそろえて、「うちの学校は実績がでていないから生徒が集まらない」と言い訳をすることだ。また、「受験脳」教師の多い学校で、大学進学実績がよいところは、「受験脳」生徒がたくさん入学しているか、要するに本質的にデキル生徒がたくさん入学しているかのどちらかであろう。 ◆ 「受験脳」は、戦後、特に日本の社会を席巻しているから、国内にいる限りは、その弊害に気づかない。他者に無関心、他者の痛みを共有できない、それでも出世もできるし、学歴も富みも得られるというのが、かつての日本社会だった。 ◆ だから、巷では何かおかしな事件が噴出している。それゆえ、私立中高一貫校では「受験脳」を見つけ、すみやかに「創造脳」「共感脳」にシフトする学びの環境を整える。学びの環境とは、まず学習プログラムである。そしてそれを支える教育空間。もちろん部活や各種イベントもその環境の1つである。しかし、もっとも重要なのは学習プログラムと教育空間なのだ。生徒がもっとも時間を費やす時空だからである。そしてその時間、生徒とずっと伴走しているのが教師。教師の12の座標系が非常に豊かな枠組みになっていないと、「受験脳」を克服することはできない。 |
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