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男子校の挑戦【1】

2007年4月3日
by 本間勇人

◆ 私立男子中高一貫校の先生方と話をしていて、今年の中学入試の盛り上がり方は、表層的な話ではますますないなという確信を得た。麻布の氷上校長のお話を聞いて、≪私学の系譜≫というフーコ的な「言説」で私学が語られるときが来るのではという予感がしていたが、その≪私学の系譜≫による新たな教育への挑戦がいっせいに始まったのだという確信である。

◆ ミッシェル・フーコの思想自体は、私はよくわかっていないのだが、「言説」に注目することで、私立中高一貫校の新しい風貌を映し出すことができるかもしれないと思っている。というのも、たとえば、氷上先生をはじめとする麻布の先生方や卒業生の「言説」は、どうも従来の学校文化を表現する「言説」とは異なるからだ。

◆ 「言説」とは単純に言葉ではない。もちろん言葉は言葉であるのだが、とりあえず辞書的な意味しか意識しなくなっている日常言語ではなく、その言葉を使うことで、文化や歴史、ルール、慣習などの制度コードを行動規範に変換する意匠なのである。

◆ もちろん日常言語も日常の生活を規定する「言説」であるが、従来の学校の「言説」というのは日常の「言説」とは際立って違っていた(る)。日常生活の躍動感を抑えるあるいは無理やり作り出す「言説」・・・。フーコだったら規律統治型言説だとか環境統治型言説と言っただろうか。

◆ たとえば、「絶対評価」とか「相対評価」という「言説」だ。なぜ教師に生徒が絶対評価されねばならないのか。相対する行為の正当性、信頼性、妥当性はなぜチェックされないのか。市民的感覚に参照すれば、ありえない権力の強行である。そんな大げさなと言われるかもしれないが、それほど、この「学校言説」は抑圧場を広げているのである。最近はこの抑圧場が緩んでいるから、いろいろな教育事件が起こるのだ。だからフロイトの超自我の復権だなどと叫ばれていて、フロイト自身迷惑していることだろう。

◆ ところが、麻布、開成、海城、駒東、筑駒、芝、聖光の先生方のお話を聞いていると、規律統治型言説も環境統治型言説も乗り越えた、いや乗り越えようとする「言説」を日常的に使っていることに驚かされ感銘を受けた。

◆ ≪私学の系譜≫の輪郭をなぞるときに、先生方の「言説」で組み立てていくことが肝要だと確信。2007年の中学入試の表層から深層(真相)に降っていったときに話を聞けた男子校は、やはり東大合格者をたくさん出そうなどという単眼的発想を持っていなかったし、自らの学校の≪私学の系譜≫を語る「言説」は、中学受験情報誌や一般のマスコミの教育関連記事で語られている「言説」とは全く違う表現と質を映し出していたのである。

◆ とはいえ、まだまだ男子校の本来的な挑戦は世に現れていない。おそらく、学校説明会やマスコミのインタビューなどでは、まだまだそのような「言説」でコミュニケーションをとっていないのだろう。男子校の新しい「言説」戦略。これを読み解きたいものである。(つづく)



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