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最高裁初判断「君が代伴奏命令は合憲」の意味するコト

2007年3月1日
by 本間勇人

◆ 毎日新聞(2月23日12時1分配信)によると、「卒業と入学のシーズンを控え、東京大の小森陽一教授らが22日、児童・生徒や教職員に対して『日の丸・君が代』の強制を取りやめるよう都教育委員会に申し入れた。」そうだ。

◆ 申し入れのポイントは@国旗・国歌の徹底指導を促した通達の撤回A教職員への懲戒処分の取り消しB卒業式や入学式で「内心の自由」について周知徹底させる。などだったそうだ。

◆ しかし、読売新聞(2月27日23時25分配信)によると、「東京都日野市の市立小学校の入学式で、『君が代』のピアノ伴奏を命じた校長の職務命令を拒否したことを理由に懲戒処分を受けた音楽科の女性教諭(53)が、都教育委員会を相手取り、処分の取り消しを求めた訴訟の上告審判決が27日、最高裁第3小法廷であ」り、「那須弘平裁判長は『校長の職務命令は思想及び良心の自由を保障した憲法19条に違反しない』とする初判断を示し、上告を棄却。教諭側の敗訴が確定した。」そうである。

◆ この最高裁の判断について、小森陽一教授のような見解を、今の日本では一般庶民がもつことは、なかなか難しい。基本的には悪法も法で、法律で決まっていることなのだから従うのは当然という話になる。だから今回の最高裁判断に関して、ブログでは、賛意を示しているものが圧倒的である。そして、卒業式や入学式で、国歌が演奏されても、歌いたくなければ歌わなければいいだけじゃんという考えに収斂されている。

◆ この「君が代伴奏命令は合憲か否か」を巡る一連の事態は、最高裁の判断の是非を問うような話も重要であるが、今までにない新たな社会現象を生んでいるコトに注視したい。

◆ 「悪法も法である」は、法の支配や法治国家においては重要である。歴史的文脈の中で、その悪法の妥当性や信頼性が保障されてしまうこともあるのだ。だから一般庶民は歓迎する場合がほとんだ。しかし、知識人はその悪法の正当性を突く。小森陽一教授の活動はそのライン。

◆ そしてその悪法を覆そうとするならば、@違憲立法審査権を発動させる。A国民審査で見識ある最高裁裁判官の選択をする。B国会に送り込む見識ある政治家を選挙で選ぶ。C世論を形成するために、マスコミに働きかける。という方法論がある。

◆ しかしながら、@の違憲立法審査権は、日本国憲法では、憲法裁判所のように法令の適用が違憲かどうか日々チェックするような機能は認められていない。具体的な事件を契機に、裁判に持ち込まない限り、動かない。だから今回も、入学式で、「君が代」のピアノ伴奏を命じた校長の職務命令を拒否した行為それ自体が第一の問題なのではなく、そのことを通して、訴訟に持ち込み、違憲立法審査権を発動させることが目的だったのだろう。これはたいへんな苦労なのだが、見識者、法律家、意識の高い庶民の共同戦線を形成することができる。ただ、めちゃくちゃ時間がかかる。A、B、Cは実質上、今までは庶民はどうしようもなかった。

◆ ところがだ、インターネット、特にブログというサイバー・アイテムが、A、B、Cにも影響を与えることができる時代が到来したというのが、今回の新たな社会現象なのである。

◆ ただし、ここでは一般庶民の視点が多様でなければ意味がない。この点に関しては、まだまだ成熟していないので、「悪法も法である」枠内で、自分の好きなことをやろう。つまり、他人に迷惑をかけなければ、何をやってもよいという個人主義に収斂されている。これはこれで、現状の経済優先社会で生きる方法の一つである。

◆ このこと自体に問題があるわけではない。むしろ、このような個人消費者の好奇心とサイバー上のオープンなマインドが、A、B、Cの方法に庶民が言論で影響力を与える可能性を開いたといえる。このようなサイバー上で一般庶民が多様な視点で言論を放つ可能性を開いたというコトを、新しい言論の時代が到来したと受けとめるコトがポイントなのではないか。

◆ この多様な視点を生み出すのは、どこか。それは、一つには学校がある。しかし、これは最高裁の今回の判決でやりにくくなる。公立学校では多様な視点の育成は困難になる可能性がある。したがって、私立学校にシフトするということになる。もう一つは、サイバー上である。小森陽一さんのような見識者が、大いにブログを活用すればよいのである。まだまだ多くの見識者は、講義、講演、書籍というリアルな手段を使っている。しかし、今回の最高裁判断を契機に、公立学校に制約がかかることは確かであるから、リアルな手段からブログというサイバーな手段にシフトする動きは加速するだろう。新しい時代の到来は、常に逆説的な情況から生まれる。



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