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| いかにして私学の自由は可能か? |
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2007年2月27日 |
| ◆ 2007年2月15日、フェルナン・ブローデル・センター所長イマニュエル・ウォーラースティンは、氏のサイトで“Bush’s Headlong Rush Into Iran?”というコメンタリーを発表している。
※ The Fernand Braudel Center (Binghamton University, State University of New York)→ http://fbc.binghamton.edu/index.htm ◆ ブッシュ大統領やチェイニー副大統領、ネオコン一派は、失地回復のために、国内外で誰も歓迎していないイラクへの増兵やイランへの先制攻撃などを計画しているが、それは追い詰められている証拠であると語る。 ◆ 誰も歓迎しない、サウジアラビアもイギリスでさえも。空爆などでは、イランの核プログラム・システムを破壊はできない。ダメージは与えられたとしても。ただアメリカの兵士の大量の死が山積するだけなのだ。だから、そんな無意味なことは止めるべきだ。 ◆ この馬鹿げたプランは止められるのだろうか。それは可能だ。もしかしたら国内の軍部の中にも沈黙のレジスタンスがいるかもしれない、いやかなり広まっているかもしれない。もちろん軍事クーデターは起きないだろうが。有権者の声に左右される中間政党的立場の政治家は、今ならブッシュ政権に反対するだろう。どう考えても、ブッシュ政権の判断は誤っていると。 ◆ これらの声が果たしてブッシュ政権の暴挙を止められるのかどうか、それは、2、3ヶ月経てば明らかになるだろうと。 ◆ このような有権者の天の声、国内の政治家や軍部の良心といったものに信頼をおいているイマニュエル・ウォーラースティンの考え方は楽観的だろうか。いや、違う。楽観的でも悲観的でもない。ひたすら言論、議論、対話が最終的には勝利すると言う信念こそ、欧米のデモクラシーの真骨頂である。 ◆ 今同じような事態が日本でも起きている。民主主義とは逆行するような道を安倍政権は歩いているが、安倍内閣自体、良かれ悪しかれ足並みが揃わない。マニュフェストの教育再生に関しても、民主的なプロセスを経ていない。私学の自由に抑圧できる道を開く計画まである。 ◆ しかし、これを防御しようという私学人、個人的消費者は多い。彼らの闘い方は言論とクレイムであろう。私学人は徹底して言論を放つべきだし、個人消費者は自己選択判断とクレイムで経済の動向を左右できる。しかし、まだまだ日本では、政財界、官僚の暴挙を止められる言論や議論、対話というコミュニケーションが成熟していない。だからこそ、今回の私学の自由を奪おうという官僚や政府の動きに対し、迂遠な行為とあきらめずに、大いに言論を放つべきである。今やっと日本においては、市民1人ひとりの言論が重要だという時代に入ったのだ。 ◆ それにしても福澤諭吉は「文明論之概略」で、日本人に議論ができるようになることを当時の喫緊の課題として突きつけたが、なんという鋭い先見性だろう。福澤諭吉や江原素六、内村鑑三、新渡戸稲造のような精神を≪私学の系譜≫として継承している私学は、今こそ「議論」「言論」「対話」で、私学の自由を保守すべき時なのではないか。 |
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