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2007年中学受験から見えること(1)
〜クリエイティブ・スクール成長の条件が揃った

2007年2月7日
by 本間勇人

◆ 2007年の中学受験生の総数は、58000人とも言われている。たしかに例年になく、受験が続いている。書いている今も、試験に挑んでいる受験生がたくさんいる。がんばって欲しい。

◆ この受験生の増加は、世間的には公立学校のゆとり教育の失敗ということにおそらくなるのだろうが、実際には個人の判断による経済消費活動が浸透するという21世紀のパースペクティブそのものなのである。

◆ したがって、教育の質の競争という私学の切磋琢磨とその質を見抜く経済消費者の成長のマッチングができてきたということを示唆するのである。1986年ぐらいまでは、伝統的ブランドの風評で学校は選ばれてきた。1998年までは、大学進学実績や偏差値という評価で学校は選ばれてきた。しかし、89年のベルリンの壁崩壊は、日本の経済を空白化し、教育においても衝撃を与えた。世界標準は、貧困問題を物品でもお金でもなく、教育で解決するビジョンを打ち出したからだ。

◆ 世界の貧困問題を解決する教育は、机上で知識を詰め込む権威主義的教育ではもはやなく、知らないことから始める思考力と知らないことをポジティブに受け入れる共感力の2つを重視した。その影響がEQという言葉生んだ。MIという多重知能理論を生んだ。3Xという議論・探究・発表というITを媒介とした新学習理論を生んだ。プロジェクト・ベース・学習というモチベーションを持続する学習理論を生んだ。

◆ これらは皆、93年のユネスコの宣言の射程内にある。その射程の根本は"Learning by Doing"であった。このプラグマティックな学習の状況を国際規模で調べたのがOECD/PISAである。この国際学習到達度テストの基本はCCC(Cross Curricular Competencies)という"Problem Solving"のリテラシーである。

◆ 日本の教育は、この流れを総合学習で受け入れようとした。しかし、どうしたことか、OECD/PISAの読解リテラシーのスコアが国際競争で下がってしまったという2003年の調査結果を受けて、慌てふためき、机上の知識詰め込みの学力を強化することに転じ、総合学習の時間を減ずるという教育政策をとった。読解リテラシーを「読解力」という従来の概念で理解したところから躓いたのだろうが、その躓きは教育再生会議にも継承?されている。有識者メンバーの川勝平太先生が孤軍奮闘よろしくこのグローバルな教育の流れの重要性を訴えたが、それは聞き入れられなかったようだ。

◆ ところが、私立学校選択者の方は、そんな教育行政が、相変わらず量の競争で、質の競争をしていないことにすばやく気づき、対応した。それが2000年以降から生まれていたのだが、ここにきてはっきり量の競争のゆがみが現象として露になったものだから、ドッと動き始めたのだろう。ここにも政低経高の波が及んだのである。

◆ 私立学校の選択におけるこの政低経高の波は、お金でなんでも解決するということに全く陥らないのが特徴である。勤勉・倹約・倫理の3要素がなければ、お金があっても果たせないのである。

◆ なぜなら、勤勉を私学側は前提にしているからだし、教育の理念を受験生は自己アイデンティに受け入れる必要がある。勤勉と倫理が必要という理由がここにある。そして学費は安くはない。親としてはこれだけ支払っているのだから、学校側はこれだけ頂いているのだから、子どもの方は、こんなに親に出させているのだからという意識が生まれる。これはほとんどの受験生の家族の実際の絵柄である。

◆ 内村鑑三派の大塚久雄の「プロテスタント倫理と資本主義」のアイディアそのままである。要するにマックス・ウェーバー。あるいは渋沢栄一の「論語と算盤」という「経済道徳合一説」。あるいは、三輪田学園の校長西先生の基調思想である「道徳感情論」の著者アダム・スミスの理論なのである。あるいは麻布の創設者江原素六の「儒教とキリスト教」の効用思想そのものなのである。

◆ 私学側も学校選択者側も、この点において合致したのだ。98年以降、私学側は、大学進学実績と偏差値も重要だが、私たちの教育の質を見て欲しいとプレゼンテーションの創意工夫をしてきた。学校選択者側も、本当にどういう教育の質があるのか証明して欲しいとばかり、学校説明会や行事にフィールドワークに出かけた。私学と学校選択者との間に質の向上をめぐってコミュニケーションが溢れ出た。これがここ数年の中学受験の本当の姿である。公立中高一貫校にはこれがやや足りないのは、調べておく必要がある。

◆ それはともかく、この私学と学校選択者の意気投合を、アルビン・トフラーが見たなら、「やはり知識情報の時代だ。そして学校選択者はプロシューマーだね。だって、消費する私立の教育の質を向上するために動いているのだから、教育の質の生産をステイクホルダーとして十分サポートしているからね」と言うかもしれない。

◆ 実際に、昨年中学を新設した白梅学園清修は、学校側と在校生・受験生、その保護者がタッグを組んで教育の質を高め、それを実現している。教育創造を日々続けているといえるだろう。

◆ 白梅学園清修の受験チャンスは3回あるが、出願者の94%が3回とも受験するのだ。今年は60人定員のところ、実質その倍の人数が受験しただろう。勤勉・倹約・倫理が学校選択者側にも、もちろん学校側にも生まれるのは必然。年々意識の高い生徒が受験する(では、1期生はどうなのと聞かれるかもしれない。これは極めて特別。1期生という特別な体験はほかではできない。だから歴史を自分達が作るという高い倫理と意志を持っている。これには本当に驚愕。もちろんその保護者の気持ちも同じ)。だから他の学校を併願している場合、吉祥女子との併願が多い。2年目にして、強いファンをつくり、吉祥女子の併願校になっているというのは何を意味するのだろうか。もはや説明する必要はあるまい。

◆ 白梅学園清修の先生方も、クリエイティブ・スクールを目指すし、学校選択者側もクリエイティブ・スクールであることを要求する。白梅学園清修はその声を保護者の声、生徒の声としてのみとらえない。柴田教頭先生は「天の声、時代の声です。ありがたいです。この声に導かれて突き進めますから」と語る。

◆ 社会学者リチャード・フロリダならこの白梅学園清修の様子を見て、「クリエイティブ・クラスが生まれる瞬間ですね」と言うかもしれない。私学と学校選択者の協働により教育の質が生産される時代、それをクリエイティブ・スクールの時代と呼んでいるが、2007年の中学受験の背景にそういう大きな流れが見え隠れしている。

※クリエイティブ・スクールの詳細については→http://www.netty.ne.jp/flipper/book3.html



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