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子ども像のゆらぎに対応する多層的生徒指導のあり方の諸前提(4)

2006年11月17日
by 本間勇人

◆ 「フロイト・モデルは社会現象や心理現象を説明できるが、問題を解決できない」という着想を追っているが、考えてみれば、フロイト自身がすでに語っていたような記憶がある。

◆ 確か、抑圧された部分に気づいたり、トラウマになっている記憶を呼び覚ますことに精神分析は役に立つが、それだけで被験者が抑圧を打ち砕いたり、トラウマから解放されるわけではないというような趣旨を記述していたような記憶がある。

◆ フロイト・モデルは気づく視点の構造枠組みではあるが、解決のパラダイムではない。いやそうではないな。フロイト・モデルは価値転換のゲートであるが、解決する方法は提示していないと認識した方がよいのかもしれない。

◆ とするのならば、超自我の復権は、せっかく価値転換のゲートに到達したのに、引き返す=後退することになりかねないということか。いやたとえばDルールAやIルール、AルールからUルールに移行するならば、ゲートをくぐり抜けたと捉えてよいのだろうか。

◆ しかしながら、あるルールを超自我として6歳までに形成されている場合、他のルールに押し付ける形で、置き換えたとしても、そのルールは現実則となりうるのだろうか。高邁な目標やスローガンとなるのみではないかということは考えられないか。

◆ だとすれば、ゲートをくぐり抜けたとしても、ワープに失敗するのではないか。いや6歳までの家庭教育で超自我にUルールを根付かせればよいのではないかと言われるかもしれない。しかし今の日本の父親、母親の意思決定や価値認識の基準=ルールはすでにUルールではない。親の超自我をすでに換えられないのだから、6歳までの家庭教育の転換は無理ということになる。そういえば昨日(2006年11月16日)衆院を通過した教育基本法改正案には、家庭教育の重要性が盛り込まれているが、これはスローガンに過ぎないということになるのか。

◆ それはともかく、フロイトの生きた時代に、超自我が有効だったのは、宗教的価値観が生活の中に生きていたからだろう。フロイト・モデルは、現実を読み解くための枠組みではなく、現実を抽象化した(映し出した)枠組みなのかもしれない。だとすれば宗教的価値観が薄れてしまった現在にフロイトが生きていたとしたら、どういうフロイト・モデルを抽出したのだろうか。少なくとも、「エス―自我―超自我」という枠組みは抽出しなかったのではないだろうか。公立学校を分析したとしたら、「エス―国民的自我―国家」という枠組みになるかもしれない。私立学校を分析をしたらどうなるだろうか。「エス―市民的自我―建学の精神」ということになるのかもしれない。

◆ ともかく、結論を急がず、もう少しフロイト・モデルを考えてみたい。「エス―自我―超自我」という3層構造を有機的に関連づける機制は何か。それは「意識―抑圧―無意識」というコミュニケーション構造である。(つづく)



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