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| 国際標準を超える共立女子の言葉の力 |
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2006年3月28日 |
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◆ その育成の場の1つが国語科で実践されている「ともだち」という文集。この「ともだち」という題は、「共立」を訓で読んでみると「ともだち」になるので、「友達」という文脈も動員できる掛け言葉になっている。 ◆ この掛け言葉が二重の意味としてあるということが、先生と生徒の行動を生み出す仕掛け=システムになっている。二重という「間」や「差異」は運動を生成するのである。こうして言葉が意味から広がる。「文集」は鑑賞の授業の「教材」に変身する。また、生徒たちにとって仲間が何を感じ、何を考えているのか「オープンソース」にもなっているため、優秀作品が集積された「ともだち」を互いに読みあうことによって、ますます言葉の力が高まるというシナジー効果が生まれている。 ◆ 「ともだち」は国語科の実践に美術科の実践が重なる。表紙のデザインは、美術の授業で制作された生徒たちの「想定自画像」で構成されているのだ。この自画像のプログラムはかなり重厚で、ただ思いつきで自分の気持ちを自画像として描こうというようなものではない。デッサンなどまずは外から見た自分を描く準備をして、そのあと外から見た自分が内面的にどう見えるかという段階に進んだうえで、内側から外から見える自分を描くという自分を静思するという運動そのものをプログラム化している。外的対象を見る視点から事物や他者と自己とのかかわりを見る視点へシフトし、最終的には自己そのものとのかかわりを静思する時空を創りあげている。 ◆ この時空を創りあげているのは、かかわりの差異とそれを考える言葉とそれを表現する芸術視角の差異である。表現する形態のズレが自己や自己を通して世界に気づく。たとえば、今年の3月発刊された「ともだち」の中で、「赤毛のアン」を読んで読書感想文を書いている中学1年生がいる。「空想から希望へ〜アンを成長させたもの」というタイトル。すでに自己の成長の瞬間を静思した読書感想文が生み出されているのである。 ◆ その生徒はアンの成長の瞬間をこうとらえている。「自分の空想を半分本当にしてしまうような、ばかげた問題ばかりを起こしていたアンが、たった数年の間に、軽率な態度をとらなくなり、無用なおしゃべりをやめ、他人の気持ちが分かる少女へ、そのうえ十五歳の時には、クイーン学院に合格したいという将来の高い希望をもつまでになった・・・」と。 ◆ そしてアンを変えた理由を考察している。 (1)人との関わりの中で、「おたがいが、かけがえのない存在だと分かった時」。 (2)「1つ失敗する度に自分のとても悪い欠点が治ったアンにとって、自分のおかした失敗は、実はためになっていた」。 (3)「プリンス・エドワード島という自然に恵まれたところでのびのび生活したということだろう。・・・本物の自然のそばで暮らすということはとても気持ちの落ちつくことだったろうし、正しい判断も下せただろう」。 このアンの成長の分析を、自分の成長に重ね合わせ、自分の希望を見出していることは言うまでもないが、これを共立女子の生徒全員が共有することで、希望は拡大する。 ◆ ところで、この「ともだち」作成のプログラムは、学校行事をも有機的につなぐメディアになっている。文集に収録される作品は、40回を迎える読書感想文コンクールという学校行事に結びついているからであるが、たとえばこれは後期始業式のあと、表彰式とそこで作品朗読が行われるイベントにつながっていく。言葉の思想が文字から音声へ広がる瞬間。また課題図書「ウメ子」の作者阿川佐和子さんを招いて講演会を開催。作家自身の言葉の仕掛けとしてのバックヤードを直接聴く機会も設けているのである。 ◆ 巻頭言で平野校長先生はこう語る。「沢山の本を読みましょうとよく言われるのは、一人の人生は一回かぎり。しかし読書を通じて私たちは色々な体験ができます。なかでも、とりわけ波長のあった本との出会いがあれば、その人の人生は大きく変革し、成長するからでしょう」と。共立女子の言葉の力は、OECD/PISAの読解リテラシー・テストなどでは測ることができない豊かさを育成しているのではないだろうか。 |
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