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2006年2月17日 |
| ◆ 問いかけというものは知識を問うタイプとコミュニケーション行為を促進するタイプとに分けられる(本当は問いかけとはコミュニケーションであるでよいのかもしれないが、ここではあえて2分法をとる)。コミュニケーションといっても、いろいろなタイプとステップがある。たとえば「おしゃべり―対話―議論―インタビュー―編集―プレゼン」という双方向型コミュニケーション行為のステップがある。そしてそれぞれに対し「制止―独白―支配―表層―形骸―妨害」という抑圧型コミュニケーション行為が対応する。これに対し「配慮―受容―論理―深層―開放」という学習型コミュニケーション行為が対抗する。
◆ このような3つのコミュニケーション行為を統廃合していくのが創造型コミュニケーション行為で、「気づき―共有―批判―発見―脱構築―解放」というステップが対応する。一般にはコミュニケーションと言うと、これらのほんの一部を話し手によってイメージされているに過ぎない。だからディス・コミュニケーションなどという現象も生まれるのだが・・・。 ◆ さて、これと入試問題とはどんな関係があるというのか。それは入試問題も問いかけの一種であるから、上記のような知識とコミュニケーションの編集によってデザインされているということなのである。つまり入試問題は問いかけの構造デザインそのもの。 ◆ 本シリーズで、「入試問題」を斜めから見るというのは、問いかけの構造デザインという側面から見ようという試みである。従来は入試問題というと知識の範疇表のようにイメージされてきた。しかし、OECD/PISAや中学入試のテストデザインは、学習者の学びの状況や背景、潜在的才能を測定するチャレンジがなされている。 ◆ そのような視点を改めて確認したのは、明大明治の問題を斜めから見たときに、説明の座標軸を明確にしておかなければ、語り尽くせないようなオープンクエスチョンが出題されたからだ。入試問題は基本的には選抜機能が前面にでてくる。しかし、ときに創造的才能の可能性を測定する問題も織り込まれる。そのような才能を生かせる可能性を持った生徒を選抜するという意味では同じことなのだが、知識を習得している生徒と創造的才能を伸ばせる可能性を有している生徒を選ぶという意味では、同じカテゴリーには入れられない。 ◆ そこで知識重視型の問いかけと創造的コミュニケーション型の問いかけという視点で「入試問題」を斜めから見ていくわけである。すると今年の明大明治の社会科の入試問題(2回目)でたいへん興味深い問いかけが投じられた。 ◆ 「良い世の中とはどのようなことだと考えるのか」「それを実現するための3つの方法を考え、重要な順番に並べ、そう並べた理由を説明しなさい」という内容の問いかけがそれだ。ちょうど宮本久雄さん(東京大学大学院教授)の「『関わる』ということ」(新世社)とう本を読んでいたところに、その情報が入ってきた(NTS教育研究所「編集者コラム(2006年2月16日)」で知った)のでなおさら驚愕してしまったのだが。 ◆ 解答は、「支配―被支配の関係ではなく、互いに相手のために道具になれる関係がある世の中」ということだろうか。そのためには「互いに情報を開示し、互いに情報の権利を認め合い、新たな情報の編集を協働すること」という方法が保障されなければならないということだろうか。「情報がオープンでなければ、そこに情報格差が生まれ、支配―被支配の関係が生まれるし、情報が開示されてもそれを互いに尊重しないと、再び支配―被支配の関係が生まれるし、新たな情報編集を独占すると、支配―被支配の関係になっていることが隠されるからだ」というようなのがその理由なのだろうか。 ◆ おそらくそんな大人が頭で考えたような解答ではだめだと叱責されるだろうが。確かに生徒たちは、もっと自分の体験を通して、切実な思いをぶつけたことだろう。いずれにしても入試問題の中に、このような発想と表現力を求める問題を出題する先生がいる明大明治とはいかなる学校なのだろうか。またこのような本質的な問題を出題することをみんなでやろうという意欲と意志をもった教師集団とはどのような頭脳集団なのだろうか。説明会だけでは見えない奥行きの深さがあるということなのだろう。 |
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