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2006年2月14日 |
| ◆ 「School Management Review2006JAN.第17号」(コアネット教育総合研究所)で、河合文化教育研究所主任研究員丹羽健夫さんがその論文の中で重要な発言をされている。「今再び大学入試が本質を問うような問題を出題し始めました。ですから、『本質を語る』『教科の根っこ』を伝えるような授業ができていないと、難関大学の合格実績が出ないということは間違えようのないことです」と。
◆ 大学入試問題が、知識重視(丹羽さんは「理解型」=「正解発見型」と呼ぶ)から創造的コミュニケーション型(丹羽さんは「納得型」=「本質追求型」と呼ぶ)へシフトしているということだろうが、これはホンマノオトやNTS教育研究所の「中学入試問題に見る学び」や本シリーズの視点と類似している。 ◆ 大学入試問題が変われば、予備校の授業が変わるわけだが、当然私立学校の授業も変わる。ただし、予備校の授業は大学入試問題の変化に対応するのは当然だが、私立学校の授業は大学入試問題に合わせて変わるわけではない。ここを間違えてはならない。 ◆ 丹羽さんも語っているように、大学入試問題自体、日本の人口動態と経済の流れ、そしてそれに対応する文教政策の影響を受ける。だから、大学入試問題が変わったから、授業が変わるわけではない。時代を見る各私立学校は、歴史的視点や文化的観点、国際的視野などをそれぞれ独自に読み解いて、本質的な教育とは何か、その教育を実現する授業とは何かを組み立て続ける。 ◆ このような視点、観点、視野は、時として歴史を超越する立脚点に位置するときがある。私学における不易流行の「不易」の部分が大概そうなのだ。そして、予備校の授業のように機敏に変化させる部分を「流行」が担う。このバランスを欠いた私学は、人が集まらない。 ◆ さて、いずれにしても私学の「不易」の部分は、実は創造的コミュニケーション行為なのである。これは19世紀末から20世紀の大戦前夜ごろに生まれた、官僚主義的近代とは違う、もう1つの近代化路線を創出した知識人の行為そのものである。渋沢栄一、福沢諭吉、高橋是清、江原素六、A.C.ショー、松方幸次郎、横井玉子、新渡戸稲造、内村鑑三・・・。挙げていけば切りがないが、彼らが私立の土台を築いたのである。またこの私学から西田幾多郎を中心とする京都学派をプロデュースする知が輩出されている。 ◆ そしてこの流れが授業の本質を貫く教育の本質である。大学入試問題が変わったからこの教育の本質を大事にしようということではないのである。むしろ大学入試問題の変化は、時代が近代とは何かを問い直しつづけて、やっと19世紀末の近代の原点に立ち戻ったということを示唆しているのである。 ◆ だから私学の中でこの「不易」つまり創造的コミュニケーション行為という≪学び≫を大切にしているクオリティーの高い教育を実践している私学を探す必然性があるのである。このような学校は19世紀末のもう1つの近代がユートピアの実現に邁進したように、ユートピア的な存在なのである。 ◆ 武相学園も歴史を超えてその流れを汲むと感じている。そしてそうであれば、入試問題にもその端子が出ているはずだ。そう思ってホンマノオトで「なぜ武相学園はクリエイティブ・スクールなのか」を書いた。 ◆ すると武相学園の各教科の先生方から入試問題について簡潔なコメントが届いた。やはり私の見解は独断と偏見に満ち満ちていたのかもしれない。それにしても、武相学園の入試問題の作成の意図はもう1つの近代につながる本質的要素が核心にあったのだということを再び確信した。少し紹介しよう。 ◆ 国語の先生はこうコメントする。「国語は諸学習の基本だ、という自負のもと、基礎的な読み書きができる生徒を採りたい。また、できるだけバランスの取れた受験生も大切だが、国語の中でも得意不得意のジャンルはあるだろう。幸い何回かの機会があるので、それを利用して一つでも得意分野のある受験者も採りたいと考えている。得意分野があれば、それを自信にして大きく伸びる可能性もあるからだ。」 ◆ 入試問題に即したコメントなので、失礼を顧みず、少し広げて解釈(ヘルメノイティーク)してみよう。「国語は諸学習の基本だ」というのは「国語は諸学の基礎だ」と読み取る。「バランスの取れた受験生も大切だが」というのは「偏差値というベルカーブ型の学力分布も参考にするが」と読み取る。「一つでも得意分野のある受験者も採りたい」は「1人ひとりの才能を見出したい」と読み取る。「それを自信にして大きく伸びる可能性もあるから」は「自らの創造的才能こそ成長の種であるから」と読み解く。 ◆ このように解釈してみると、武相学園の教育の本質が見えてくるのではないだろうか。同じように算数も見てみよう。「計算問題は加減乗除の基本が理解できているかどうかを確認する問題が出題されます。対策としては、割り算、分数、小数を含んでいる計算問題を数多くこなしておくとよいでしょう。解くのに時間のかかる問題もありますが、ひと工夫ができれば早く解くことができる問題もあります。」ここには2つの視点がある。「割り算、分数、小数を含んでいる計算問題を数多くこなしておくとよい」と「ひと工夫ができれば早く解くことができる問題」という視点がそれである。前者は鍛錬、後者は創造を意味する。計算問題に関して、この2つの視点を持ち出したとたん、方程式という関数の考え方の基礎が開かれる。ものごとを関数概念で捉えようとしたのは、もう1つの近代化路線の成果でもある。京都学派西田哲学が欲したのは、数理的な哲学の基礎であった。 ◆ 理科のコメントの中には「理科の基礎事項を正確に理解し知識を活用する能力などをみます。」というのがある。社会には「歴史や地理はとかく暗記科目としてとらえられがちですが、歴史的出来事の起こった背景や原因、社会に与えた影響などを理解できているかどうかを見ることを意図して出題します。」というコメントがある。 ◆ いずれも簡にして要を得たコメントである。「基礎事項を正確に理解し」「知識を活用する能力」に鍛錬と創造が織り込まれている。「暗記科目としてとらえられがち(を否定しているわけではない。偏っては困るという意味)」「歴史的出来事の起こった背景や原因、社会に与えた影響などを理解できているかどうかを見ることを意図して」ここにも鍛錬と創造が在る。 ◆ 丹羽さんは東大の日本史の問題を紹介している。「なぜ平安末・鎌倉という時代にのみ、すぐれた宗教が輩出したのか。ほかの時代ではなく、どうしてこの時代にこのような現象がおこったのか説明せよ」「(これは)高等学校で日本史を学んだ誰もがいだく疑問であろうし、日本の歴史学がいまだ完全な解答をみいだしてないものであると思われる。・・・歴史の流れを総合的に考え、自由な立場から各自の見解を8行以上13行以内で述べよ」 ◆ 学界で解決されていない問題を入試問題で解き明かす。なんという高感度なセンスの良い視点。この東大の日本史の問題と武相学園の中学入試の作問の目線が同じだということは、もうおわかりいただけたであろう。 |
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