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| フェニックス中村学園 |
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2006年2月9日 |
| ◆ 中村学園は関東大震災や東京大空襲で何度も校舎を失い、その度に不死鳥のごとく再建築を繰り返してきた。その歴史は痛みを受け入れながら希望を忘れない、そしてその度に、新しい発想を教育空間に埋め込んできた中村学園の教師による創意工夫の歴史でもある。
◆ 私は私立中高一貫校の良質教育を判断するとき、以下の12項目で視ることにしている。 (1) 自己実現プログラムを自覚的に実施しているか。自己欲求から自己実現へ。 ◆ ほとんどの項目について中村学園はクオリティーを満たしている。だからたいへんな人気を呼んでもよいはずだと、ずっと考えていた。何度も不死鳥のように再建された学園だけに、教師の創造的コミュニケーション能力は他校とは比較できない何かがある。昨年まで徐々に生徒募集の人数を上げてきてはいたが、今一歩ブレイクしない。 ◆ そう思い、昨年2月11日のホンマノオトで、こう書いた。「中村中の教育空間は、言葉としてのコミュニケーション、芸術としてのコミュニケーション、文化としてのコミュニケーションが、心を響かせる楽器として組み込まれている。 しかし、響きや声は、残念ながら永遠の瞬間で、そこにいなければ聴こえない。聴覚を視覚に変換させて心を響かせる広報の専門化が小林理事長・校長以外にいないのが、中村中の今一歩ブレイクしない理由なのかもしれない。もっとも、本物をわかる人がわかれば教育というものはそれでよいのかもしれないが。」 ◆ 今思えばたいへん失礼なことを書いたが、そのことがきっかけになって、私は学校に呼ばれた。特になんということもない穏やかなコミュニケーションが流れた。茶室的空間の中村学園らしいおもてなしだった。そこには現在中村中学校の入学対策委員長梅沢辰也先生をはじめとする広報や入試対策関係の先生方がいらっしゃった。 ◆ 中村庵の亭主小林校長先生と静かに話は進んだ。他の先生方は無念無想の境地にいるように静かに微笑んでいらっしゃったが、眼光は違っていた。捲土重来、起死回生(右肩上がりなのだから、そういう気持ちになる必要はなかったのではあるが)への決意があった。頑張るとはもともと眼張るという意味があると聞いたことがあるが、なるほどそうなのだなと思い、中村庵を去った。 ◆ それからというもの中村学園の広報活動は快進撃が続いた。夏の東京フォーラムでのフェアーのミニ授業も大いに沸いた。学校説明会も入試が近づくにつれ、参加者が増加した。まさにピーキーな分布を描いた。それに伴いホームページの更新度もアップ。そして2月1日試験当日ブレイクした。NTS教育研究所所長石井麻美はそのときの模様をコラムにしているので、参照していただければ幸いである。 ◆ こうして、今年の中村の中学入試出願は前年比218パーセント。受験者数は前年比246パーセント。そして何と言っても手続きの段階では前年比200パーセントという結果になった。 ◆ 我田引水にも私のひと言が引き金になったなどということを言うつもりはない。私はただ今の子どもたちが未来の怒涛の中を、自らの頭で・足で生き抜いていく力と至難ではあるがよき社会を築いていける創造的才能と技術を身につけられる中等教育段階の教育空間・環境を探しているのみである。 ◆ しかしともすれば成金主義、拝金主義、学歴主義を吹聴するマスコミのノイズが邪魔し、学校選択者の目を曇らせる。正しい目を持ち続けて欲しいとただそれだけを訴え、良質教育を実践している学校に正しい目をもった学校選択者がたくさん集まって欲しいと願うばかりである。だから今回の中村学園の出来事は印象深いのである。 |
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