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| ≪未来を創る学校2005≫を振り返る(19) |
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2006年1月18日 |
| ◆ このシリーズで、理想郷としての男子校である武相学園のことをすでに述べているが、軽井沢の文脈からいけば、ここでもう一度語らざるを得ない。北軽井沢に教育研修センターなるつまごい天日山荘を所有しているからであるが、ただ建築物がそこにあるからというわけではもちろんない。
◆ 「丘の上の武相学園 ― つまごい天日山荘」という教育環境には同質のものがあるからである。あらかじめ巧まれた機能しか果たさない教育空間というものが一般的なのだが、武相学園の教育空間は、そこに生徒たちがいるや、創造的な言動を誘う空間になっている。 ◆ 生徒たちがそうなるには空間に対する感覚というものが鋭くもやわらかくなければならないが、一般的にはそういう感覚を育てる学校は少ない。ところが武相学園にはこの空間に対するものの見方を養う教師の苦心作である学習プログラムがあるのだ。古墳や江戸時代の宿場町の研究をする「考古学部」の存在がそれである。この部活動は、神奈川県知事賞をはじめ教育長賞を2度受賞するほど実績がある。文化祭で、生徒たちはある宿場町の立体模型を制作し、プレゼンしていた。生徒たちの熱心に説明してくれる姿を見て、未来の考古学者あるいは都市デザイナーを想像したぐらいだ。(このプログラムは、ロサンゼルスの特別なプレップスクールであるチャドイック・スクールが誇りにしているものに似ている。) ◆ この「考古学部」の実績は、もちろん生徒たちだけの努力で勝ち得たものではない。社会科の教師の力がベースになっているはずだ。武相学誌(武相学園紀要)20号の中に、渡辺幸基先生の「東海道ルネッサンスを機に品川宿を歩く」という研究論文が載っている。これを読んで、なるほどと得心した。 ◆ とにかく綿密に品川宿を歩いて調査している。この調査が武相学園の社会科そして「考古学部」に反映しているのは言うまでもない。渡辺先生の論述にしたがって、青物横丁駅から地図をたどりながらJR品川方面へ読んでいくと、歴史と空間が広がっていく。ときにはジュネーブにまでも話が及ぶ。江戸時代いかに品川が政治的にも経済的にも法律的にも重要な拠点だったがわかる。「海」の漢字を使う社寺の多い話、七福神の話、臨済宗や日蓮宗の立派なお寺に比べて今にもつぶれそうな時宗の善福寺の価値、広重の錦絵のスケッチ場所、小堀遠州の大名庭園の話など、ガイドブックでは知ることができない話が満載。 ◆ 地理との関係、交通の要所をベースに街の空間がイメージできるように書かれている。こういう学習を続ければ空間と時間に対する鋭い感覚が育成されるのは間違いない。しかもその空間の質感は、丘の上―北軽井沢―大名庭園なのである。いずれも開国当初、江戸に訪れた欧米人に驚嘆を与えた精神性だ。武相学園の教育を豊かにするこの空間の力、そしてそれを作り出す創造的な教師陣。武相学園は才能教育の拠点である。 (つづく) |
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