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| ≪未来を創る学校2005≫を振り返る(17) |
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2006年1月13日 |
| ◆ 日本文学の里とも言える軽井沢追分の三輪田学園の話がでたら、今度は北軽井沢の話に飛ばざるをえない。こちらは大学人の住まう場所だ。リゾート化しつつある旧軽のことを、かれらの中には「下の軽井沢」と呼んでしまう人がいるほど。もっとも北軽井沢もリゾート化しているが。とにかく、谷川徹三、田辺元、津田左右吉、野上弥生子、内村鑑三などの縁の空間である。
◆ そこに軽井沢セミナーハウスを所有しているのが戸板中学校・女子高等学校(以降「戸板」)である。戸板はもともと港区芝公園の一角からスタートしている。当時はまさに大名庭園の雰囲気そのものの中だっただろう。おそらく開国後初めて訪れた欧米人がアルカディアだ理想郷だと溜息をついた場所はその辺りだったに違いない。 ◆ その後今の用賀に移転してきたが、この用賀から二子玉川、そして多摩川沿いにある国分寺崖線は、大名から受け継いだ政財界人の別邸が立ち並ぶ場所。都心から移転してもなお大名庭園。等々力の五島慶太の五島美術館も近くにあるし、今は静嘉堂文庫という美術館になっているが、ここはもとあの岩崎家。どちらも戸板から歩いて30分から40分という圏内だ。開成の校長だった高橋是清の別邸もあった。森村財閥も多摩川から西のランドスケープを見渡せる、ということは富士山がきれいに見える見晴らしのよいところに陣をはっていたらしい。その近くにかつての総理大臣大平首相が住んでいたが、そこから西を眺めながら思いついた国土計画が「田園都市構想」だ。 ◆ それにセントメリーインターナショナルスクールも近接していて、外国の方々も住まう都市である。国際交流の雰囲気が身近にある。というよりなぜ外国の方々が住んでいるか少し考えると、ますます戸板の場所の地政学的意味がわかるはず。 ◆ そういうわけで戸板に訪れた人は、中庭を中心に回遊式になっている校舎の空間にはそのコンセプトが息づいていることに気づかれるだろう。また「知・好・楽」という理念に、利休や織部、遠州らの知的遊びの感性を見つけるに違いない。そういえば北軽井沢に向かう途中に内村鑑三が命名した「遊学堂」なる知識人の集う空間がある。 ◆ この日本文化というよりそれを生み出した原点ともいうべき千利休や内村鑑三らの知性感性のコンセプトが、戸板の教育空間にはいたるところに仕掛けられている。図書館やラウンジ、小ホールなどなど。中でもそのコンセプトが未来からやってきたのではないかと驚嘆する場所がパソコンルームである。 ◆ デザインも斬新であるが、何より生徒たちのアウトプットがパーフェクトに「知・好・楽」そのもの。目の付け所といい、思考性といい、表現性といい、学内でというよりパソコンルームだけで公開されているのは、あまりにももったいない。がしかし、それはやはり「ワビサビ」の精神の現われでもある。 (つづく) |
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