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≪未来を創る学校2005≫を振り返る(15)

2006年1月12日
by 本間勇人(honma@netty.ne.jp)

◆ 静かな人気を持続している女子校に香蘭女学校がある。立教女学院とは違い、つまりアメリカ聖公会ではなくイギリス聖公会のキリスト教精神をベースとしている。キリスト教の中でもプロテスタントは、グループが多種多様で、それぞれ普遍的な精神をもちつつ独自性というものがはっきりしている(といっても一般にはわからないし、私もそれほどわかるわけではないが)から、スクール・アイデンティティを語るとき無視できない。

◆ とはいえ、学校選択の時にそんなことなど考慮しないのが、一般的なあり方かもしれない。しかし、グローバリゼーションの流れから見ると、このプロテスタントどうしの微妙な違いは、世界の政治経済を揺るがす大問題なのである。現在の世界に、良いか悪いかは別にして、多大なる影響を与えているアメリカ合衆国のアイデンティティ問題が、一連の文明の衝突をどのようにコントロールするか、政治戦略の要になっている。

◆ もっともこれはサミュエル・ハンチントンの受け売りに過ぎないが。ハンチントンの「分断されるアメリカ」という重要な文献があるので、この点に関して詳しく知りたい方はそちらを参照して欲しい。

◆ ともあれ、香蘭女学校のルーツがイギリス聖公会にあるということは、他校にはない文化的精神が身につく環境になっているということを示唆するのである。最も大きな文化的精神の1つは明治の近代化の精神を継承しているということである。第二次大戦以降の精神ではなく、日本の近代化のスタートにまで遡るということである。

◆ 1901年、福沢諭吉、中江兆民と相次いで他界した時期、彼らとは全く違う官僚近代主義路線が政府の手で進められた。福沢諭吉、中江兆民は、明治政府とは違う近代化路線を考えていた。この彼らの政府とは違うもう1つの近代化のベクトルを香蘭女学校は共有しているはずである。もちろんそれとて全く同じではないが。

◆ 一体もう1つの近代化とは何か。それを知りたければ、軽井沢で一週間ぐらいゆっくり暮らしてみるとよい。あの街はよくみると、風俗関連の商売やパチンコ屋さんなどギャンブル性の高い商売は営まれていない。たしか街の条例で規制されているはずだ。軽井沢を今も昔も支えているのは星野家であるが、軽井沢町が立ち上がった当時の星野家の御曹司はT型フォードを乗り回していたという。当時軽井沢で暮らしていた内村鑑三は、そういう行為が、いかに自然に対し他者に対し罪を犯していることにつながるかをぴしゃりと指摘したようだ。それ以降御曹司は改心し、内村鑑三を通して神を仰ぎ、軽井沢を理想郷にすべく、励んだという。果たして現在そうなっているかどうかはわからないが、文化人やキリスト教の精神に満ち溢れている文化が今もあることは確かである。

◆ さて、そのような軽井沢を最初に築こうとしたのは、内村鑑三ではない。彼はすでに理想郷としての環境があったから気に入って住んだのである。内村家は今も軽井沢で生活しているぐらいだ。その環境を築いたのは、A.C.ショーというイギリス聖公会の宣教師だったのである。旧軽を訪れたとき、軽井沢銀座通りをしばらく歩いていくと、今もショーハウスという礼拝堂がある。

◆ 精神性の薫り高い軽井沢の原点はショーの構想につながるのだ。初め宣教師ショーは福沢諭吉の子女の家庭教師だったり、慶応義塾で倫理学の教授も勤めたりしていた。先に述べた星野の御曹司も慶応出身。福沢諭吉もイギリスの政治経済の思想をベースにしていた。そういう関係が軽井沢の精神性を生み出したわけである。もっともその後、大隈重信ら早稲田大学のグループが軽井沢の不動産をどんどん購入していった。その1人があの堤康次郎だったのである。今はIT長者たちが進出し、だいぶ軽井沢の様子も変わったかもしれないが、基本的な理想郷的街づくりの発想の原点を、今でもちょっと気にかければ感じることができると思う。

◆ この理想郷的発想に、ショーが無意識のうちに織り込んでいったものが、実は江戸の大名庭園である。当然茶道や、華道という日本文化も含んでいる。そういう意味では軽井沢町は農村文化というより、大名庭園文化そのものである。もっとも憶測に過ぎないが。ただ、明治期の日本文化の欧米に向けての紹介は、おそらく京都より江戸だったはずだ。ジョサイア・コンドルも実は竜安寺や桂離宮を紹介していない。大名庭園を紹介している。

◆ イギリスの田園都市レッチワースは、まさにこの大名庭園の影響を直接受けているといわれている。その有力な説を提唱している川勝平太元早稲田大学教授・現国際日本文化研究センター教授(国土計画五全総のコンセプトメーカー)は、自ら軽井沢に住まっている。このレッチワースの構想は、日本の田園調布、多摩プラのグランドデザインだ。渋沢家、五島家がかかわっているわけだ。いずれにしても大名庭園がプロットタイプ。この庭園は明治以降政財界人の手に渡っていく。この大名庭園の跡地を利用して教育空間が形成されている私立中高一貫校もたくさんある。そういえば本郷の東京大学も前田家の大名庭園を活用している。開成も大名庭園の跡地。晃華学園も。

◆ プロットタイプを知りたいという方は、青山にある根津美術館の庭園を散策して欲しい。この庭園美術館は、根津嘉一郎が創ったが、かれは武蔵学園の創設者だ。もちろん東武鉄道の創設者でもある。居住地が東急線沿線の方は、等々力の五島美術館をお薦めしたい。五島慶太のかつての住居だが、立派な大名庭園だ。

◆ 今までの語りが香蘭女学校とどう関係があるのか。そろそろ種明かししよう。香蘭女学校の設立に協力した1人の宣教師。それはA.C.ショーなのである。ここまでくると、香蘭女学校を訪れた方はもうおわかりだと思う。A.C.ショーが抱いた軽井沢の原型が、香蘭女学校にあるのである。

◆ 2004年以降、香蘭女学校は積極的に海外研修プログラムを作っている。アメリカやカナダで既に実施していて、今年2006年からいよいよイギリスでも行うようだ。日本庭園の復元と考えた方がよいのだろうけれど、それも校庭に築いている。キリスト教と庭園と茶道。A.C.ショーの時代の国際交流のキーワードが現実化されているわけだ。多くの学校の語学研修はオセアニア方面だが、アメリカとイギリス(EU)が射程に入っているということは、単なる語学研修ではなく、グローバルな精神やコミュニケーションにつながる香蘭女学校独自の教育的背景があるということ。香蘭女学校で学ぶということはそういう教育的背景も身につくのである。

(つづく)



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