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秋だから読書の真実を思う

2005年10月18日
by 本間勇人(honma@netty.ne.jp)

◆ 読売新聞(2005年10月18日 ) によると、香川県教委は「家庭で本を読まない子どもの割合が学年とともに上昇していることが、県教委が行った子どもの読書活動に関するアンケートでわかった」と発表したそうである。

◆ 「週に1回以上読書をすると答えたのは、3〜5歳の幼児が87%、小学校低学年(1〜3年)72%、高学年(4〜6年)60%と高い割合で推移しているのに対し、中学生36%、高校生31%と急激に低下。ほとんど読んでいないと答えた中学生は26%、高校生も28%に上っている。」

◆ 要するに読書量が減っている危ないということ。いつのころからか、出版業界の経済状況が悪化したころからか、毎年各地で読書 しなくなった大変だあと、税金を投入して読書危機意識を煽るリサーチというかアンケートが行われている。

◆ こういう逆効果は止めたほうがよい。危機意識を煽るのは、本当に危機だと言える時には結構なことだが、そうではないのにやったとしたら、ストレス症候群や読書トラウマが蔓延するだけだろう。

◆ 新聞の報道もそうだ。いったいどういう本を読むと読書なのか。インターネットで活字を見ている高校生は、読書をしていないというのか。携帯電話でインターネットに入っている高校生も読書をしていないというのか。幼児や小学校低学年が読んでいる本の字数とPCや携帯電話などのディバイス・ユーザーが情報収集するときの活字の字数はどちらが多いのか。

◆ まさか読書とは物語とか小説とか範囲が決まっているわけでもあるまい。高校生がもしアインシュタインの相対性理論に取り組み、100ページ足らずの岩波文庫を一年かけて読んだとしても、上記のようなアンケート調査では、読書していない高校生の1人に数えられる。

◆ 現在東京現代美術館では、イサム・ノグチの展覧会が開催されているが、驚くほど訪れる若者が多い。作品にビデオに食い入るようにぎらぎらしている目で見つめている若者の表情は実によい。同時にそこはフリーターとかニートを何とかしなければというのは、何かが違うなと思わせる風景でもあった。

◆ たしかに六本木ヒルズあたりの高層マンションに居住している若者の姿は、Tシャツに穴のあいたジーンズ、頭は様々な形を有した鶏冠状態、あるいはその逆にスポーツマンシップの頭かもしれない。全身レザーの黒装束かもしれない。イサム・ノグチに魅入られていた青年たちの中にも同じような風貌をしていた彼らもいた。たくさんのホリエモンのような人々もいる。彼らがあらゆるツールで読む行為は、読書とは呼ばないのだろうか。

◆ 読書は人間形成にとって重要である。しかし、読書以外にも人間形成にとって重要なものはある。書は情報収集する最高の知の集積である。その通りだが、21世紀はそれだけでは全く足りないのである。体験という書以上に情報が蓄積している場もあるのである。読書は文化を伝播する重要な対話のツールだ。その通りだが、それでは日本語だけではダメだ。多言語主義でなければ。にもかかわらず公立小中学校では、英語の授業を英語で教える機会すら5%も広がっていない。

◆ 片方で多様な情報を活用している若者達がいる。ときには間違いも起こすが、すさまじい数のもちろん質的にも多様なブログが立ち上がっている。こちらのほうは情報が氾濫して困っているという。テレビや漫画が疎んじられるときもある。しかし、今やメディア・ミックスは加速している。メディア業界のM&Aが進んでいるということ。

◆ こうなってくると何かが違う。本も情報もメディアもどこが違うのだろう。アンケートを実施する側の見識があまりにないのと、情報収集とその整理の方法論の不勉強。なにより決定的にダメダメなのは、矛盾を見出さないことあるいは独善的な価値の序列が存在しているということ。それぞれの役所が公表している資料や情報間の矛盾や不公平な判断を不問にするという文化がそこにはある。

◆ 読書の最大の効用は、民主主義の言論の自由の保守と批判的精神の育成なのだ。そういう矛盾を解決する力を育てるのに、それをタブーとする部署がアンケートを実施してのたまうとは、税金の無駄遣いというほかあるまい。



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